KANABI あ・そ・び・隊 あそび隊 かなび 歩き隊 中年関東歩き隊bar_red
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いよいよ本日10月10日〜11月3日、東大赤門(旧加賀藩上屋敷)から金沢城に向けて参勤交代の道(旧中山道、追分から北國下街道)を歩きます。我が母校である「金沢美術工芸大学」開学70周年/石川県人会連合会結成60周年/北陸新幹線開1周年を祝っての、519kmウオーキングで秋の日本列島の背骨を横断。さぁ〜、何が待ち構えているか…。皆さん応援をよろしくお願いいたします。
★黒澤:いつも見慣れた、聞き慣れた板橋、蕨、浦和、大宮に「宿」が付くだけで
そのいつもが変わって見えた。板橋宿、蕨宿、浦和宿、大宮宿・・・。
通りすがりの人からも「頑張れ〜」とか「ガンバッテー〜」の声援を頂く。ありがたい。
初日の一句 ♪ 宿宿に 想いを馳せし 秋の風
★石田:初日の一句 ♪ 涼風にすすきも揺れる中山道
レオスタ(MRO 北陸放送テレビ 11:15〜)
10月10日(月・祝)



★黒澤::4:30 に起きて、ニッポン放送「上ちゃんのあさぼらけ」を聴く。
ノッケから赤門での参勤交代ウオーキング壮行会の模様を上柳さんが話されて感激!!
後ほどDVDを送っていただくことに。
8:45 スーパーホテル大宮を出発。
旧中山道を北上するがあまり旧道という感じはせず、
ただただ見慣れたレストランやスーパーのチェーン店が並ぶ。
11:20 上尾宿に到着。ゆず最中の老舗に前田家の劍梅鉢紋を発見。一つ頂くとこれがメチャ美味い!
12:30 桶川宿の観光センターに到着。昨年訓練歩行で訪問した際のスタッフ木下さん、武田さんと再会。隣の「松屋」という手打ちうどん屋で肉うどんを食す。
コシがあり濃いツユながらうまい!汚い店ながら千客万来。
13:00 前田家の常宿本陣で皇女和宮も宿泊され明治天皇巡幸時の休憩所に使われた館を特別に見学。
桶川は市や市民あげて宿場町としての歴史を残そうとしている感じが伝わってきた。
15:30 桶川で時間を費やし過ぎて焦って早歩きし、北本宿通過して鴻巣宿へ。
北本宿はあまり印象がなくこれといった史跡もなくただただ歩く。
16:00 法要寺という前田家の本陣宿に使われた真言宗のお寺を見学。
小寺住職の奥様、檀家総代の田沼さんから兼六園に植わっていたヤマモミジの苗を頂き境内に植樹する話を聞いて石川県、金沢市との縁を感じた。その北國新聞の記事も頂く。
17:00 私が勤務していた東京企画の元同僚が経営している会社を訪問。差し入れを頂く。
17:50 夕食。北鴻巣駅前の喫茶店でケチャップスパゲティを食す。ビール大瓶一本のみ飲む。
18:20 無事に鴻巣宿(ホテルサンルート鴻巣)到着。陽は完全に暮れて真真っ暗。
¥6800(税込、朝食付き)。人工ながら温泉付きなんでまあまあか。
私風呂へ。石田コインランドリーで洗濯。ありがと。
21:00 埼玉新聞の取材を受ける。新井記者から1時間以上いろいろ聞かれる。何か興味を持たれたのか?
明日、荒川土手で写真撮影が決まる。記事は13日付か。
23:00 就寝。
今日のぐだぐだ駄句 ♪ 橘の 枝折しかも 和宮
★石田:皇女和宮様もお泊りした桶川宿本陣の建物の中を拝見しました。
真ん中の方はこの建物の持主の北村市会議員。
ここで一句 ♪ 多羅葉に 憶いを残す 桶川の宿




★黒澤:5:30 に起き、ニッポン放送の「あさぼらけ」を聴きながら快便。
昨夜も人工ながら温泉に入れたので体力もかなり回復。
ただ足指の左右小指あたりと足首に痛みを感じる。寒気もする、風邪は禁物。
9:00 KANABIあ・そ・び・隊004の三谷隊員が突然ホテルサンルート鴻巣のロビーに現る。ビックリ!一緒に深谷宿に向かうことに。リュックを担いでくれることになり、勿論体力回復のためにお願いする。寒い、パーカーを羽織る。
10:00 吹上駅を過ぎると「中山道」道標がなぜか多くなる。昨夜取材を受けた埼玉新聞の新井記者から写真撮影を頼まれる。荒川土手下の「権八延命地蔵堂」前で撮影完了。明日の埼玉新聞に載るらしい。
11:00 荒川土手を1時間ほど歩く。天高く馬肥ゆる秋って感じか、坂の上の雲って感じか、素敵な雲が漂う。前行く石田、三谷隊員の足が軽い(みたい)、僕は重い。
11:30 熊谷市の天然記念物「ムサシトミヨ」という小さな淡水魚がここにだけ生息するという清い流れの川を見つけ映像に撮る。
12:00 友人から聞いてた「ふらい」の店「いわ瀬」に行くが情報通り休み(苦笑)。隣の「星渓園」(皇女和宮の宿泊本陣)に立ち寄る。庭園が手入れされ素敵な空間。無料で一見の価値あり。
12:30 せっかくなんで行田熊谷名物の「ふらい」を食べる。見た目屋台のキャベツお好み焼き。モチモチの小麦粉に小エビ、キャベツ、蕎麦、卵などが乗せられて半分に折ってお皿に乗せ、ソース、青海苔をかけて完成。ボリューム満点な500円、ふらい焼きそば600円。
14:00 旧中山道を歩く。今日は昨日と違ってどこも立ち寄らずただただ黙々と歩く。三谷隊員が石田と黒澤のリュックをかわりばんこに担いでくれてホンマに助かった。あんやと〜。我々の姿を見て声をかけてくれる方が多かった、主に年配の女性。全てビデオ撮影をするが誰も嫌がらない、これには驚いた。昨今のぶらり系番組の影響か。
17:20 3日目の投宿地深谷宿「きん藤旅館」到着。かなり足にきている。一旦荷物を置きに部屋に入るために靴を脱ぐ。ああ〜解放感。
17:50 三谷隊員を深谷駅まで送りに行くが、正直再び靴を履きたくない感じ…、かなり足指に変化が。深谷駅は東京駅を模したようなレンガ擬き建築物。その下には深谷が生んだ渋谷栄一の銅像がそびえ立つ。
18:40 トロン温泉(薬石を使った人工温泉)に入り身体をほぐし、晩飯食べて21:30に寝る。この「きん藤旅館」の玄関に東京落語四天王と呼ばれた古今亭志ん朝、三遊亭円楽(先代)、立川談志と橘家円蔵(元月の家円鏡)の直筆サインの額装が飾られていた。以前この旅館で落語会を開催されていたらしい。
ぐだぐだ駄句 ♪ 一里塚 旅人を見つめて 暮れていく
★石田:9:00 ホテルを出発。三谷さんが朝から同行してくれています。
10:30 黒澤君の荷物を三谷さんが背負ってくれています。お殿様とお付きの人みたい...。
12:00 八百屋のおばちゃんに声をかけられ、金沢話に花が咲き、別れ際にミカンを頂きました。甘いミカンです。
12:30 熊谷のイオンで昼食休憩。行田名物ふらい焼き。昔のお好み焼きの味です。
17:20 無事本日の宿、深谷きん藤旅館に到着しました。1、2日目よりは短い歩行でしたが疲れました〜。
私のぐだぐだ駄句 ♪ 深谷宿 夕焼け チャイム 葱畑


拡大
2016年10月12日(水) 北陸中日新聞
2016年10月12日(水) 北國新聞



★黒澤:4:15 ニッポン放送の「上柳昌彦あさぼらけ」を聴く。日記つける。
7:00 トロン温泉に20分ほど浸かりふくらはぎ、足首、足指を一本づつ「お疲れさん、今日もよろしく」と労をねぎらいながら揉む。朝のルーティン、腕立て、腹筋、ストレッチ。朝食(さつま揚げ、納豆、海苔、味噌汁、白米)を頂く。
9:00 深谷宿「きん藤旅館」の女将(晩年の森光子似)と記念撮影。今回で3回目の出会い。改めて縁を感じた。ありがとう。足指の痛みも回復しイザ!出発。
9:30 間も無く七ツ桜、菊泉などレンガの煙突を立てた古い酒蔵が続く。深谷宿の西の外れに「西の常夜灯」に挨拶して街道を歩く。岡部宿に入り、寺院、神社が多く見られる。源勝院、普済寺、岡部神社、岡部陣屋跡など。
10:30 峠の茶屋のような「お休み処」の旗が掲げられた雑貨駄菓子屋でトイレ休憩。ご主人のヤナイさんに店のこと、この辺りの話などを聞く。石田オロナミンで栄養補給。娘さんからコーヒーを頂く。有難い。庚申塔の石塚が100個並ぶ「百庚申」で記念撮影。圧巻。
11:00 利根川の支流、温井川を渡る。通りすがりの白髪のおじさんが「この間もここ(中山道)を歩いている人がいて、足にマメができて歩けなくなったので本庄の病院まで車で乗っけてやったよ。ゲラゲラ」って話してくれた。おおそうなんだ〜。と石田と顔を見合す。この辺りは畑、田圃が続く。柿の木、ザクロがたわわ。スズキの穂が風に揺れる。
11:50 「六助うどん」の看板。12時前なのに駐車場が一杯なのを見て石田が「ここ入いろ!絶対旨いと思う」で入ったらもう満席。カツ丼とうどんのセットを注文。これがまた凄い!豚の肉厚(3cm)とボリューム満点。うどんはしこしこの手打ち。参った!お腹がパンパンでゲップゲップ。リュックのベルト緩めるがキツイ。歩けない。
13:30 本庄市内を歩く。「本庄は蔵の街」の看板。どこかで聞いたフレーズだが、確かに蔵はあるが固まっておらず点在しているのが残念。「建物を保存する」ことの難しさを感じる。「本庄まつり」のポスターも目立つ。本庄宿で一番大きい金鑽神社(かなさらじんじゃ)を通過して上里宿へ。
15:00 浅間山古墳の前にコスモスが微風に群れて咲いていた。思わず記念撮影。 学童の安全歩行を見守るおじさん、おばさんからエールを頂く。「この辺りは今はこんなんだけど、昔は甲斐國武田信玄の家来だった金窪城の城下町だったのよ」って。
15:40 大きな神流川を渡る。和宮や加賀藩侍はどのように渡ったのか気になった。ここは瀧川一益と北条氏直が戦った古戦場。碑が建っていた。渡ると群馬県高崎市。埼玉県を後にする。 また、足指が痛み出す、4時間過ぎると痛み出す。宿命か。
16:00 新町に入る。八坂神社に松尾芭蕉の句を見つける。「傘(からかさ)に おしわけ見たる 柳かな」。その先に明治天皇在行の地という公園と和風建築物が保存されいた。
17:00 途中セブンイレブンで夕飯の食材(カップ麺とサンドイッチ、350mmlの缶ビール)を買って、藤岡宿の「ホテルサンルートイン藤岡」に到着。25.9km。4日間で一番短い距離だったが、連続4日間25km以上歩いたのは初めて。一応クリアしたがやはり、足指、ふくらはぎが痛む。風呂に入り揉む揉む揉む。部屋でストレッチ。夕飯カップ麺&サンドイッチ食べる。 群馬県のローカル紙「上毛新聞」に電話。明日の取材の確認をする。結果、安中支局の田中記者と板鼻宿で待ち合わせることに。
21:40にベッドイン。 <昨日のぐだぐだ駄句>
ぐだぐだ駄句 ♪ 本庄に 群れ咲く秋桜 歩み止む
★石田:9:00 きん藤旅館を出発。
深谷宿 西入口の常夜灯、お休み処そばの百庚申、昭和3年竣工の滝岡橋、ノンビリと歩きました。
私のぐだぐだ駄句 ♪ 昔日(いにしえ)の願いが宿る百庚申
         ♪ 武士(もののふ)の声響きけり神流川(かんながわ)




★黒澤:4:15 起床「上ちゃんのあさぼらけ」のトップニュースはボブ・ディランのノーベル文学賞。
これはある意味画期的な出来事だと思う。風に吹かれて今日も歩く・・。
9:00 今日で5日目で連続雨降らず。これは神憑りだわ。ホテル藤岡を後に一路安中宿を目指す。
利根川支流の烏川(からすがわ)の土手を歩き再び高崎市に入る。
10:00 倉賀野宿の入り口に常夜灯を見つける。「左日光街道、右江戸街道」の標で記念撮影。
この宿は烏川を使って交易をして栄えた宿場町。越後、信州からの産物を烏川、利根川を使って江戸へ送っていたらしい。「内陸の港町」のキャッチフレーズが印象的。
街道筋には当時のままの商家や陣屋跡が残っていた。よく言えばもっと早くに保存活動をして入れば良かったかも。おもてなし館の女性(おばさん)も残念がっていた。
安楽寺で見つけた手書き注意書きが怖かった・・。
10:30 石田の左足首が痛むらしく、ドラッグストアでサポーターを買う。
3000円ほどの出費だったらしいがその後は快適歩行。良かった良かった。
ブルースカイ&サンシャイン!秋晴れ!汗ばむ陽気。長袖を脱ぎたくなるほど。
11:50 高崎駅西口商店街で偶然に「いし田」ジンギスカン屋さんを石田が見つける。
昨日といい今日といい、石田の嗅覚は凄い!ここも結果正解だった。
柔らかいラムとシャキシャキのモヤシをジンギスカン鍋で焼く。
明日は休息日なんで特別にビールで乾杯。旨い!〆て¥1,060。
途中でMROラジオから電話あり、金沢城、美大ゴールまでに何回か生で携帯レポートすることが、決まった。改めてパブリシティの重要さを感じていたので嬉しかった。
13:50 豊岡付近で高崎だるま(中喜屋)の製作現場に遭遇。だるまの工程作業を見学させて頂く。
来年正月や選挙に向けこれからが最盛期になるらしい。
我々の法被、ノボリ姿はここでも好評で、金沢へ旅したという女将としばし金沢談義。
15:15 板鼻宿(安中市板鼻公民館)に到着。
昨日約束していた「上毛新聞」の田中記者とこの公民館内で取材を受ける。
一昨日の「埼玉新聞」と同じくここでも1時間以上も話を聞いて頂き本当に有難かった。
が、石田も私も欠伸が止まらず。失礼・・。
16:30 公民館(この敷地全部が板鼻本陣跡)裏に残っている皇女和宮が使ったという書院前で撮影。
終わった時は太陽が西の山の端に沈む時間になっていた。
17:00 安中宿「ビジネスホテルKAWA」に到着。狭い部屋。ここに2泊予定。
近くのスーパー「ベイシア」へ夕食の買い出しに。寒い、気温が下がってきた。明日も晴れそうだ。と碓氷峠方向を二人で見てホテルに戻る。
21:00 就寝
ぐだぐだ駄句 ♪ ポッカリと 浮かぶ安中の 秋の月
★石田:9:00 今日も元気に出発します!安中を目指しま〜す😃
11:50 高崎の街で昼食休憩。成吉思汗専門店「いし田」、美味い!
明日は休養日だから、ビールでカンパーイ!^_^
13:50 高崎市豊岡の中喜屋さんで製造工程を見せてもらいました。
15:15 板鼻宿(板鼻公民館)に到着。上毛新聞の取材を受ける。田中記者は群馬について博学でびっくり。
倉賀野宿にて今日のぐだぐだ駄句 ♪ おもてなし 心に染みる 倉賀野の宿

2016年10月14日(水) 埼玉新聞
 



★黒澤:4:00 起床。今日は土曜で「あさぼらけ」はなく、オールナイトニッポンを聴く。
知らないDJが下ネタ連発。40年前もこんな感じだったけかな・・・。
5:00 行動日記をつけ終わる頃には外は明るく快晴。安中に真っ青な空が広がる。隣はなぜかUNIQLO。
7:30 ホテルに付いている朝食、サラダ、ハム、卵、納豆、ごはん、味噌汁。石田と一緒に感謝して頂く。
アフターコーヒーを飲みながらロビーで念のため上毛新聞を見る。何と!明日に延期になったはずの昨日の取材記事が載っていた。その下には西村東海支部長と同期の池田政治さん(前橋市出身)の連載記事も併載されていた。昨日、田中記者から聞いていた。この偶然には彼もビックリしていた。この池田さんの連載があったからこの参勤交代ウオーキングネタも掲載許可が下りたのかも。池田さんに感謝。
9:10 今日は5日ぶり初の休息日。石田は高崎市内へ映画を観に。
あまりにも天気がいいので僕も休息せずにので外出。新島襄(同志社大学の創設者、山本八重の夫)の旧宅と安中藩の関係史跡探訪へ。
10:30 ホテルから自転車を借りて安中市内へ。
碓氷川の側に新島襄の旧宅があった。茅葺屋根のちっぽけな家だった。来場者は僕だけ。五十嵐さんというお爺さんガイドにマンツーマンで解説して頂く。
何故にアメリカに行ったか、どのように船に乗り、アメリカに着いて10年近い時間をアメリカで過ごしたか・・。などを知り改めて志の強い若い頃の七五三太(しめた・襄の幼名)が好きになった。
12:30 安中の老舗醤油醸造元「有田屋」で、みたらしダンゴを食べる。香ばしくて旨い!金沢市大野の醤油屋さんを思う。代々湯浅姓で、新島襄のパトロン的な存在。日本初の私設図書館「便覧舎」もこの有田屋が作ったらしい。湯浅家は湯浅治郎という政治家、湯浅一郎という画家を輩出している。
14:30 その他妙光院(新島家ゆかり)、武家長屋、安中協会(新島襄のゆかり)、旧碓氷郡役所などを自転車で巡り、ホテルに戻る。西に碓氷峠、北方遙かに榛名山、下には碓氷川が流れて、空は青く輝いていた。
15:00 夕方まで昼寝。鋭気を養う。
17:30 高崎市内で映画観て戻っていた石田と夕食へ。歩いていける地元郊外レストランでトロ鯖定食(石田はチャーハン&餃子)と生ビールで明日からの碓氷峠、中盤長野に向けて乾杯。
17:00 安中宿「ビジネスホテルKAWA」に到着。狭い部屋。ここに2泊予定。
近くのスーパー「ベイシア」へ夕食の買い出しに。寒い、気温が下がってきた。明日も晴れそうだ。と碓氷峠方向を二人で見てホテルに戻る。
22:45 今日の日記をつけてベッドイン。何かにつけて碓氷峠越えを気にしている自分がいることを自覚。
明後日は雨模様。さぁ~て、どうなることやら・・。おやすみ。
今日のぐだぐだ駄句 ♪ 落ち葉踏み 新島襄を 志る
★石田:今日は休養日、午前中映画(ジェイソンボーン)を見て、高崎市内をぶらぶら。
十月桜が咲いてました。銀杏も黄色く色づき始めています。

2016年10月15日(土) 上毛新聞
 



★黒澤:6:00 起床。外は晴れ。これで7日間連続の晴れ。
昨夜ベルシアスーパーで買ってきたパン、スープ、ヨーグルトで朝食。
8:00 ホテルロビーにあった上毛新聞に金沢美術工芸大学OBで元東京芸大教授の池田政治さんの連載記事「心の譜」が載っていた。その5の見出しは「金沢美術工芸大学/柳宗理さんと出会う」。
「柳さんは『人間の手の中から発想が生まれる』と考え、形のへのこだわりをもっていた。そんな先生が生み出す作品に心酔し、尊敬し、大きな影響を受けた。研修がきっかけで事務所に就職することになった」と書かれていた。
8:20 2泊(¥9,700)お世話になったビジネスホテルKAWAを前で記念撮影。
女将、スタッフに見送られで出発。空は今日も秋晴れ。松井田宿経由で横川を目指す。
9:30 明日の旧碓氷峠踏破のためにリュックの荷物を減らす。
衣料と不要になったガイドパンフなどをセブンイレブンから東京の自宅に送り返す。
10:00 安中宿中山道を再度(昨日は自転車で)今日は石田と歩く。やはり歩いて街道をゆくと景色が違って見える。天気も味方しているかも。行き交う方々から「昨日、上毛新聞読んだよ~。ガンバって~」や「一緒に写真撮らせてください」とか、と嬉しい沿道応援。恐るべし上毛新聞!!
10:30 ぶどう農家の前を通りかかるとおばさんとおじさんが出てきて大きな柿(新秋柿)を頂く。家の奥まで入れて頂き、江戸初期から伝わるという弁財天、不動明王などの木質漆の像5体を祀った祠に案内してもらう。明日の碓氷峠越え無事を石田と一緒に祈る。
迫るギザギザの山の名前を聞くとその名は「妙義山」。そっか!改めて頭に刻む。
10:45 安中原市の杉並木を撮影していると、神戸から中山道に残る松尾芭蕉の句碑を訪ね歩くという76歳のおじさんと会う。「昨日碓氷峠を越えてきた」と平気な顔をして話す・・。これから高崎まで歩き、電車で埼玉の息子さんの家に向かうらしい。お互いの無事を祈って美しい杉並木の中、西と東に別れる。
12:00 松井田宿に入る。江戸からの旅人は松井田宿を通過し坂本宿まで行き、碓氷峠を一気に越えたらしい。なのでこの松井田宿には泊まらない。と安中宿の資料に書いてあった。
街道筋の雰囲気は残しているが、倉賀野宿や安中宿に当時の建物も少なく比べ荒んでいる感じがした。
12:30 松井田宿には食べ物屋がなく、ようやく「白雲亭」という焼肉屋に入る。ここも石田曰く「駐車場に車がいっぱい止まっているから大丈夫」とのことで決定。待つこと40分、13:20ようやく昼飯にありつけた。さっき頂いた柿を剥いてもらい食べたら、渋柿だった(苦笑)。
15:00 横川から手前2kmあたりで突然崖下から「ちょっと!待って~!」と女性の声。しばらく待っていたら崖下の階段をおばさんがペットボトルのお茶を2本持って上がってきた。「昨日の上毛新聞読んでね、ここを通ればいいね。と主人と話してたのよ~」だって、またまたビックリ。ありがたくお茶を頂き記念写真撮って別れる。恐るべし上毛新聞!
15:50 無事に横川に着く。この7日間で最速で宿泊施設に着く。23.0km。
明日の碓氷峠越えのためにもう少しリュックを軽くしたいので、パソコンや本、衣類などを中軽井沢の白石荘に急ぎ送ることにする。風呂で脹脛、足指を揉む。今日は距離的に短いのに疲労がたまっている。 石田と足指の豆を見せっこしながら自分の足状態を話す。
17:30 夕飯。東京屋の亭主の手つくり料理を頂く。鴨の燻製サラダ、インゲン、こんにゃくなどの前菜。メインはヤマメのバター焼き、藁豚のソテー。栗ご飯とけんちん汁で仕上げ。御馳走様でした。明日、同じく碓氷峠を越えるというおばさん2人と情報交換。雨はもう必至な状態なので、どうするか・・。
ぐだぐだ駄句 ♪ 横川の 夕日美しき 妙義山
★石田:8:30 ホテル出発しました。今日もいい天気、横川までガンバロー!!^_^
10:00 新島襄ゆかりの醤油屋さん「有田屋」と日本初の私設図書館「便覧舎」を訪ねる。
妙義山を望むパノラマ。右側が妙義山。
12:30 昼食の店を探していたら、黒澤君が「あっ、カツカレー!!」。良く見ると「カラオケ」でした。(^O^) カラオケ奥の白雲亭に入る。昼食は焼肉定食です。途中、オジさんから柿を貰い、お店に方に皮を剥いてもらって食べたのですが...下側しか食べれませんでした。
17:30 7日目無事に終了。いよいよ明日は碓氷峠越えです。ビールで乾杯!^_^
ぐだぐだ駄句 ♪ 安中の 往事を偲ぶ 杉並木
       ♪ 渋甘が 半々なりや 新秋柿




★黒澤:4:15 起床。天気予報通り、すでに外は雨。かなりの雨。まだ夜明け前で、アスファルトの路面はビジョビジョ。この状態で旧碓氷峠踏破は危険という話もあり旧信越線のアプト式鉄道跡の歩行路を歩くことも選択肢に入れてどのコースを行くか石田と検討会議。
5:00ちょうどに「あさぼらけ」が始まった。上柳DJが、再度参勤交代ウオーキングのお話をして頂く。
速攻で局のアドレスに雨のため旧碓氷峠をアタックするか他の道を選ぶか迷っていることをメールで送ったら上柳DJが生で読んでくれた!本当に応援して頂いている実感を持った。
8:45 雨合羽、ポンチョを着ていざ出発。石田の選択で今回は残念ながら旧碓氷峠は断念し、旧信越線のアプト式廃線路を歩くことにした。碓氷関所で記念撮影して線路にアスファルトを敷いた道を北上する。
9:30 坂本宿で本陣、脇本陣など見学。芭蕉の「ひとつ脱ぎて うしろにおひぬ 衣さえ」句碑は本当はここで詠んだ句ではない、とおっさんが言っていた。雨が小雨に。徐々に降りやんできた。これはひょっとしていけるかも。
と石田と相談。結果、西の空が明るくなってきたのが決め手となり決行することに。
10:30 バス停横の旧中山道、碓氷峠の入り口からスタートする。二人以外誰もいない。ミッキーのラジオをガンガンつけ、腰に熊除けの傘をさしていざ出発。一気に急勾配の坂を登る。
のっけから息切れ。はあはあ言いながら、火成岩がゴロゴロした道を歩く。最初ヤマヒルを警戒していたが東京旅館の女将の言葉を信じ無視することに。あとは熊、これへの警戒心は異常なまでに高まっていた。時々後ろを振り返り、ガサガサの音にも敏感に・・。
11:30 小林一茶が遺産相続のために長野の実家へ向かう際に刎石山の頂上の覗で詠んだ句「坂本や 袂下の 夕ひばり」が看板に書かれていた。上り地蔵下り地蔵、風穴、弘法の井戸、碓氷坂の関所、馬頭観音、中山茶屋、掘り切り、陣場が原、子持山、小学校跡など前田家の参勤交代、皇女和宮、明治天皇が見たと思われる史跡を伝える看板が道沿いに掲示されていた。
途中、アメリカ人の2組夫婦と出会う。一緒に記念撮影し、お互い無事を祈って別れる。
13:30 横川の旅館を出発して5時間15分。ようやく、無事に本当に無事に碓氷峠を越えて熊野神社に着く。ホッとした。猿のギャーギャーという声ぐらいで、なんの動物とも遭遇なく越えることができた。このことや雨が止んだことも皆さんから頂いた気持ちやお守りの御利益だと思う。
昼食は熊野神社前の群馬県と長野県の県境が通っている蕎麦屋で、山菜月見そばと力餅¥1050、石田はとろろ蕎麦と力餅¥1100を頂く。
15:00 芭蕉の句碑「馬をさへ ながむる雪の あした哉」を見ながら、旧軽井沢のつるや旅館を通り今夜の宿泊先「白石荘」のある沓掛宿(中軽井沢)に向かう。
16:40 無事に8日目の宿「白石荘」という民宿に到着。下からお客様ですよ〜の声。
金沢美大劇団べれゑの先輩、近藤晋弌さんご夫妻が陣中見舞いに来て頂き感激。健康管理グッズの差しれを頂く。ありがとうございました!
明日の4:30から5:00の間に黒澤と石田がニッポン放送の「上柳昌彦のあさぼらけ」に生出演します。
携帯電話での声の出演です。よろしかったら早起きしてお聞き下さい。
今日のぐだぐだ駄句 ♪ ドキドキと ドングリ踏みしめ 碓氷越え
          ♪ ハイカラの 散りゆく紅葉 軽井沢
★石田:おはようございます!外はあいにくの雨ですが、美味しい朝ご飯をしっかり頂きました。「東京屋」さん、お薦めのお宿です。
8:45 雨の中、出発です。碓氷関所跡でパチリ。早速出ました。クマ注意!!
10:30 いよいよ旧中山道、碓氷峠越えにチャレンジします。真ん中の道に分け入ります。
13:30 無事碓氷峠越え!峠の茶屋で遅い昼食を食べ、中軽井沢まで歩きます。
18:45 今日はお疲れ様でしたー。今日もビールでカンパーイ‼️
今日のぐだぐだ駄句 ♪ 息切らし 旧き友との 峠越え
          ♪ 霧煙る 峠を越えて 薄日さす




★黒澤:4:00 起床。
4:47 ニッポン放送「上柳昌彦あさぼらけ」の取材を受けるが、中軽井沢ではradikoでも通常放送が受信できず。後で知人が録音してくれた音声を聴くと、何と寝ぼけたオッさん声なんだろう・・・。
それに引き換え上柳DJアナの声は4つ違いとは思えないくらいに若く張りがあった。話の内容はFBで確認下さい。碓氷峠越えを無事に成功したことなど約5分ほどですが。
7:30 朝食。焼き魚、野菜、納豆など8皿で完璧。
8:30 べっぴんさんを見て出発。今日は昨日と打って変わって晴れ。気温15度ほど。寒くない。
自宅への絵手紙を投函。通園児童と記念撮影。リュックの不要な荷物を東京に返送。碓氷峠越えの際に前日荷物の一部を翌日泊まる民宿に送ったことで軽くしたことも突破成功の要因だったかと思う。
9:15 中軽井沢駅から18号線を右に折れ、一路小諸宿を目指す。古宿、借宿の地名が残る。
ゆうすぎ温泉の看板。埼玉県、群馬県内の中山道沿道には「庚申塔」「庚申塚」が多く見られたが長野県に入ってからは「道祖神」の石塚が多く見られる。
9:30 追分に到達。標高1003mの表示板の下で記念撮影。ここから小諸宿まではほとんど下り。追分資料館、芭蕉の句碑「吹き飛ばす 石も浅間の 野分哉」一茶の句碑「有明や 浅間の霧が 膳をはふ」や堀辰雄ゆかりの寺院など残る。約1kmのこのエリアはスレートで舗装されて格別、別格の扱いを受けている感じ。
9:50 追分宿を過ぎて一里塚跡を過ぎると中山道と北国街道の分岐点「分去れ(わかされ)」。
左に行くと中山道と右に行くと北国街道の標や常夜灯に感激。金沢85里。前田家や明治天皇北陸巡行の行列は右の北国街道から金沢へ。皇女和宮の行列は左の中山道からやって来て江戸へ。
12:30 馬瀬口というところに立派なお屋敷を見つける。明治天皇が小休止したお屋敷らしい。
このあたりから足が重くなり始める。路上で休憩。お腹が空いたが旧道なので食べる店が見当たらない・・。日差しも強く気温が上がっている。腹が減る。暑い。2人とも、無口になりトボトボと歩く。
何故か軍歌が口をついて出てくる・・。徐州徐州と人馬は進む・・。Googleで蕎麦屋を見つける。3km先。
13:30 18号線との合流地点。蕎麦屋「なごみや」でようやく昼飯にありつく。
新蕎麦だった。天ぷらざる蕎麦大盛りを頂く。蕎麦の香りがぷーん。旨い!
14:30 元劇団東京べれゑ団員で金沢美大の後輩の捧君から電話入る。これから自転車でジョイントします。とのこと。
15:00 「ここは与良街 北国街道」の大きな看板。ここから約1kmほど古い街並みが続く。
高浜虚子が戦時中疎開していたという館が残っていて今もここで句会を催されているらしい。
15:40 小諸城址「懐古園」で捧君とジョイン。昨日同様、旅の途上での知人との再会は格別だ。
3人で小諸城址の入り口までいき、東京から来た女学生と記念撮影。小諸城の謂れをチケットおばさんに聞いて入場せずに宿舎に向かう。石川県七尾市出身の漫画家宮下英樹さんの代表作「センゴク」の舞台になった城。
16:00 捧君は自転車を小諸城址に置いて一緒に民宿「きじま荘」まで歩いてくるという。感謝。
急な坂を千曲川まで一気に下り切る。夕暮れ時の千曲川と周りの岩山は情緒というより雄大さを感じた。
島崎藤村の歌や小説に出てくるロマンチックなイメージよりダイナミックな感じ。
ここ小諸市と東御市の境あたりだけが雄大な地形なのか・・。
17:40 千曲川のほとり、田圃道、お墓場などライトを付けての3人歩行。ようやく真っ暗な17:40に民宿「きじま荘」に到着。途中、リュックを担いでくれた捧君に再たび三度感謝です。
19:00 温泉湯で身体、足をほぐし夕飯。大きな「鯉こく」、山菜天ぷら、豆腐、イトウリ、茄子の辛子漬けなど。石田の左足の豆がかなり痛そう。明日の歩行に影響が出なければ良いが。
21:30 就寝。
ぐだぐだ駄句 ♪ 秋暮るる 岩肌荒れし 千曲川
★石田:7:30 18日おはようございますー。
今日は小諸の先、布下温泉まで歩きます。朝ご飯いただきます。^_^
8:30 宿を出発です。ガンバロー!
9:30 中山道国道の最高地点?1003mを通過、追分宿に入ります。
12:30 昼食休憩をしたいのだが、旧道沿いを歩いているからサッパリお店が出て来ない。とうとう、座り込んで休憩です。フ〜ッ!
13:30 ようやく蕎麦屋さんに入りました。「なごみ屋」さん、新そばが美味しいです!
17:40 本日の宿「木島荘」に到着。22㎞のつもりで歩いて来たのですが、結果は29.7㎞と予想外に疲れました。昨日の碓氷峠越えの疲れも残っていたようです。
19:00 今日も一日お疲れ様でした〜!!いただきまーす。(╹◡╹)
今日のぐだぐだ駄句 ♪ 子供らの 声賑やかな 小諸宿

上柳昌彦 あさぼらけ (ニッポン放送ラジオ 4:30〜6:00)
10月18日(火) 生電話インタビュー



★黒澤:4:15 「あさぼらけ」やはり聴けず。日記つける。
7:00 石田の足豆状態を確認するが、あまり良くない。今日は大事を取って電車で向かってもらうことにする。朝食。焼き鮭、ハムサラダ、納豆、温泉卵、味噌汁を完食。
8:25 天気良好。信州の山々樹々から出づる爽やか酸素を胸一杯に吸う。
記念撮影後、石田から金沢美大の応援ノボリを預かり僕のリュックに刺す。
責任重大。気を引き締め左右に別れる。石田は滋野駅へ。
9:30 しなの鉄道田中駅(田中宿)で、どこかで拾った枝の杖をついてる石田と合流。一緒に海野宿へ。海野家、真田家を祀った白鳥神社に2人で旅の無事を祈る。蒐集している白鳥神社「縁結びのお札」を買う。
約650m海野宿の道の真ん中に立つ。これは凄い!この宿場町(養蚕町)の保存状態は凄い。人が住んでいる。お店もちゃんとやっている。良くぞここまでほぼ完璧に保存できるものかと感嘆。屋根は瓦になっているが当時は茅葺だったようだ。建築関係者は必見か。
ここにも一茶の句碑「夕過の 臼の谺(こだま)の 寒哉」があった。再びここで石田と別れて1人旅に。
11:30 千曲川市岩下村の明治天皇巡幸時の小休止館跡で自撮り。
北国街道はほぼ千曲川に沿って続く。北陸新幹線の線路と何度か行き交う。
昨日の小諸での千曲川とは違って悠々滔々と流れ周りの山々とのマッチングが圧巻だった。
12:45 上田駅に到着。三度石田と合流。機能的なステッキで足を庇いつつ歩いている。ああ足豆は大変也。一緒に赤い真田丸のノボリが何十本、何百本と立ち並ぶ上田城まで歩く。改めて大河ドラマの影響の大きさに驚く。時間がないので無料エリアをさらりと見て撮影して、石田は電車で戸倉の旅館へ。
14:45 石川県人会広報委員の島田幹子さんが東京から応援同道に駆けつけてくれて今上田駅に着いたとのこと。
15:00 北国街道を北上。ところどころに旧街道を思わせる蔵や庄屋屋敷などが残っている。
真田昌幸が領民を思う素晴らしい領主だったことが書かれた立て札が多く見られる。
15:30 信越放送のディレクターから携帯に電話あり。「ずぐだせテレビえぶりでい」という番組に路上生インタビューをしたいとの要請。石田に電話するがすでに戸倉宿に着いてしまい無理とのこと。僕1人で受けることに。旧街道でインタビューを受ける。
8分ほどの忙しないインタビューだったが、僕にはどう映ったかわからない(笑)。
17:30 日没。点滅ライトとテールランプを持って国道を歩く。歩道のない右側を歩く。デカイ、トラックが否応なく走る。風と埃がが舞う。その度に身体が揺れる。すでに28kmを歩いているので足に力が入らず揺れる。この1時間半の歩行が一番キツかった。碓氷峠も怖かったけど(苦笑)。
18:50 鼠宿、坂城(坂木宿)を過ぎて、何とか無事に戸倉宿に到着。小諸から34km。
ここは戸倉山下温泉という温泉街で、千曲川沿いに温泉旅館が立ち並ぶ。
チェックイン終えて一気に温泉へ。湯の中でルーティンの太もも、ふくらはぎ、足揉み。
左足小指と中指に水豆ができていて明日様子見。
19:30 石田、島田さんとそのお友達と乾杯!!本当にこんな応援同道は嬉しい限り!感謝。
ようやく夕食にありつける。今夜はバイキング。お寿司、焼き魚、焼きそば、たこ焼き、きんぴら何でもあり(笑)。
20:30 就寝。
ぐだぐだ駄句 ♪ 足重く 友待つ宿の 海野月
★石田:8:25 今日も元気に行って来まーす!
ですが、私はマメのため、最寄駅から電車に乗り、海野宿で黒澤君と合流します...。
海野宿を歩いた後、上田駅で三度目の合流し、上田城を見学。ここで黒澤君と分かれ、黒澤君は歩いて、私は電車で今夜の宿を目指します。
18:50 黒澤君〜!! ようやく本日の宿、到着!! お疲れさまー!! 両隣りは石川県人会の友人とその友達。

ずぐだせテレビ (SBC 信越放送テレビ 13:55〜15:53)
10月19日(水) 生中継



★黒澤:4:15 起床。「あさぼらけ」を聴きながら日記つける。
特別プレゼントクイズコーナーで昭和40年代、50年代の歌謡曲が流れ癒される。
7:00 上田館という旅館で9階には千曲川を見渡せる温泉風呂があり朝風呂。
再び浸かり、しっかりと足、指をマッサージ。20分ほど、眼下の千曲の流れを見ながらボケーっとする。
今日もお陰で天気良好。温暖。風が少し吹いている。
7:30 県人会関係者の島田さん、井川さんと一緒に朝食を頂く。
石田の足豆状態は良くなったようで良かった。このリカバリーはやはり大したもんだわ。
昨日の夕飯がゆっくり出来なかったので朝は貪欲に食べる。
10:30 旅館から千曲川を渡り、右に紅葉間近の山並みとしなの鉄道線路と並行しながら北上する。
寂蒔(じゃくまく)という街道筋町で芭蕉の句碑を発見「名月や 児達ならぶ 堂乃縁」この辺り道祖神の石塚が多し。
11:00 しなの鉄道の屋代駅に到着。地元高校生作の幸村甲冑とパチリ!
ここで島田さん、井川さんと別れる。歩行距離約10km。お二人はこのまま電車で長野市内見学へ。
石田は昨日上田で買ったストックが効いたのか快調に歩く。今度は僕の左足小指の先端にぷっくりと水豆が出来、いささか歩行が難渋になってきた。
12:40 篠ノ井付近から風が強くなる。焼肉屋件ラーメン、餃子屋さんに入る。
体重がやや減ってきたので「まっいっか!」の心境になり、カルビ丼、醤油ラーメン、餃子を平らげる。
13:10 まだ食べてる途中にMRO(石川県地元放送局の北陸放送)から電話が入り「ちょっと早めですがこれからインタビュー大丈夫ですか?」とのこと。
前日15:20からインタビューします。と、言われていたんで友人知人に告知してあったが、時間変更で万事休す。ヒンシュク覚悟。
昼食も半ば、電波状況も悪く外に出る。約6分ほど話しをさせて頂いたた。後から調べたら「おいね、どいね」という木曜日の帯番組で、27日木曜日と11月3日木曜日の大体同時刻にインタビューして頂けるとのこと。ありがたいことだわ。席に戻ったら食べさしの餃子だけ残して全て片ずけられていた。ラーメンの汁飲みたかったのに・・苦笑。
14:45 川中島の地名が現れる。が、上杉謙信と武田信玄が数回に渡って戦ったという名勝負史跡や遺跡はこの北国街道沿いには見当たらず・・。おそらく場所が違うのだろうと諦めて先を急ぐ。
左足指の痛みが増してきた。石田はストックついて快調に飛ばす。「先に行ってくれ」と言い、ここで僕はグンとペースダウン。その後の史跡、ランドマーク的な景色はお互い携帯で連絡取り合い撮影する。
15:00 犀川という金沢市内にある犀川と同じ名前の川に到達。
ここは「丹波島の渡し場として重要なポイントだったみたい。一茶の句碑があった。「まっすぐに かすみたもうや 善光寺」僕も川向こうに見える長野市内を見渡したが木々やビル群が邪魔して善光寺は残念ながら見ることは出来なかった。
16:30 「ホテルアベスト長野駅前」に到着。
ロビーで即靴を脱ぎ足指豆をチェック。左小指に大きな水豆が明日の歩行が心配。
途中のローソンで石田は休憩していたようですれ違い。15分遅れで到着。
水野さんという金沢美大の後輩女性と一緒だった。松本在住でこの参勤交代ウオーキングをFBで知って応援に駆けつけて下さった。本当にありがとうございました。
19:00 昼飯を食べ過ぎたせいでお腹が減らず抜き。知人で長野市内在住の河島家族と会う。
この夫婦は以前僕がロッテのコアラのマーチ販促で行っていた「コアラ親善大使」キャンペーンに当選。
一緒にオーストラリアに行った仲間で、その2人が結婚して今は二児の父と母。子供連れで応援に駆けつけてくれた。本当にありがとう~。
20:30 足指を確認。明日の回復を祈るように就寝。
ぐだぐだ駄句 ♪ 犀川や 遥かに流るる 加賀の川
★石田:8:20 おはようございます。朝食食べ終わりました。黒澤君も私も何とか歩けそうです。
今日は長野市に入ります。女性お二人は宿から4〜5㎞同行します。
9:30 今日も元気にホテルを出発しました!!薄日のちょうどいい天気です。
11:00 屋代駅に到着。ここで応援隊の二人とはお別れ、二人は善光寺を見て東京に帰ります。
黒澤君が昨日19日15:40頃にSBC信越放送の「ずくだせテレビ」に生出演しました(北国街道、秋和地区にて)。その様子がツィッターでツイートされています。皆さん、チェックしてください。
12:30 長野市内に入りました。昼食休憩後、長野駅方面に向かいます。
長野市内で下校中の子供達と。「どこまで行くの〜?」「歩いて、えー、すごいー!」「がんばってねー」。子供達の笑顔からは元気をたくさん貰えます。
16:50 今日も無事にホテルに到着しました。写真真ん中の方は松本市から激励に来て頂いた水野さん。




★黒澤:4:15 起床。ホテルの部屋の温度調節ができず暑くて窓全開で寝ていた(笑)。
今日も今日とて「あさぼらけ」。石田も僕の部屋に来て待機。4:50ごろ「あさぼらけ」の上柳パーソナリティーと電話で繋がる。2回目の生携帯インタビュー。石田の豆、単独国道危険歩行、牟礼宿泊所大間違い事件のことなど5分ほど話す。毎回親身に聞いて頂く上柳さんに大感謝。
7:30 上田館という旅館で9階には千曲川を見渡せる温泉風呂があり朝風呂。
再び浸かり、しっかりと足、指をマッサージ。20分ほど、眼下の千曲の流れを見ながらボケーっとする。
今日もお陰で天気良好。温暖。風が少し吹いている。
7:30 今日もいい天気。気温も上がりそう。朝食(10階ダイニングでのバイキング)。
窓の下に長野駅が見える。野菜サラダ、納豆含めバランス良く頂く。締めはカレーライス。
8:50 善光寺に向けて出発。ん?、足指が痛くないではないか!。昨夕のあの足重、小指痛は?
昨夜もいつも通りの湯の中マッサージとハーブメンテ。何が奏功したのか思い当たらない。
不思議だ。良かった。これで今日も歩けそうだ。
9:20 美大後輩で長野市在住の角居(すみい)さん(鋳金作家)が善光寺参道で合流。
激励同道。ありがたい!大変嬉々。一緒に善光寺境内で信濃毎日新聞の取材を受ける。
その渡辺麻友記者は捧さんからの紹介。「今日(10月21日)に載ります」って言われ、そっか夕刊なんだ~と少し気落ちした。が、夜に友人から送られた記事をみて感謝。ありがとうございました。
でも角居さんの姿は写真に写ってなかった・・(苦笑)。残念。
10:20 善光寺にお参りしてから時間を取り戻すべく早足で黒姫に向かう。11:20ごろ新町宿通過。お百度参りの粟野神社など、北国街道筋らしい神社やお寺を撮影しつつ先を急ぐ。
12:00 田子池の手前の住宅街。この先に食べ物屋が無さそうなので、ポツンと北欧風家族経営的な洒落たレストラン「Caffe Tottan」に入りピザサンドとコーヒーを頂く。母と娘で切り盛りしている。お客は我々2人のみ。「大丈夫かな・・経営。良い店だけど立地が悪いからいつまで持つか・・」と石田が独り言。
13:50 平出町。この辺りから登りがキツくなる。息が切れ切れ。気温13度。左右に林檎畑が連なり、赤いリンゴ、黄色いリンゴがたわわに実る。明治天皇休憩所や御膳水所など関連石碑が目立つ。
14:30 「三本松」交差点のセブンイレブンでトイレとコーヒーブレイク。
その向かいに小林一茶が江戸に奉公に出る際に父親が見送ってくれたという三本松が今でも残っている。「父阿りて 明本の見たし 青田原」と句碑に彫られている。
15:30 牟礼宿を通過。本当はここで投宿予定がじゃらんの手違いで旭屋旅館違いでブッキングされておらず。結果一茶の故郷の黒姫まで延伸した。
小玉集落は佐渡からの金を馬に乗せて運ぶという馬人足補給場所だったみたい。その先に前田家が建てたと言われる武州加州道中堺」という石碑に遭遇。その横に前田家12代当主斉広の正室「真龍院」さんが詠んだ歌碑もあった。「住すてし 跡の名残を 思ひ出の そてに露そふ たひの中道」
16:40 国道18号をひたすら北上。陽が落ちていく。
路傍で小休止。点滅テールランプを2人で付ける。黒澤前、石田後ろで国道の右を歩く。
北国街道の左に並ぶ飯綱山、戸隠山、黒姫山の山の端が光り、徐々に黒くシルエットに。
17:30 信濃町に入り、黒姫に近づく。一茶通りの看板が見える。もう近い。
18:10 明治42年創業約100年の歴史を持つ「旅館ふじのや」に到着。30.8km。
19:30 夕食。加賀まりこ、池内淳子などの往年の女優などの色紙が飾ってある食堂で夕飯く。子持ち鱈煮、小鍋、エビフライ、卵豆腐などなどを頂く。
21:00 早々に送ってもらった信濃毎日新聞夕刊の記事を見ながら就寝。お休みなさい。
ぐだぐだ駄句 ♪ 柏原 一茶ほいさと 秋を往く
★石田:8:45 ホテルを出発、善光寺へ。途中金美の後輩、角居(すみい)さんが応援にあらわれる。善光寺を見て皆で記念撮影。角居さん渡辺さん、ありがとうございました!!
13:50 牟礼への峠越え、指の上が豊野の町。だいぶ登って来ました。
飯綱町にある小玉道中境碑は、東京と金沢の中間地点に江戸時代初期に建てられたもの。今回の旅の半分を歩いたという感慨が湧いてきます。
18:10 黒姫の旅館に到着しました。二人で予約したのですが、一人分だけの食事・部屋となっており、追加の準備をしてもらう。その間ゆっくりと風呂に入り、その後夕食を食べ終わりました。今日も何とか歩くことが出来ました!
今日のぐだぐだ駄句 ♪ 加州武州 間を越えた 嬉しさよ
            信濃路(みち) 軒いっぱいの 吊し柿

 
2016年10月21日(金) 信濃毎日新聞夕刊
 
上柳昌彦 あさぼらけ (ニッポン放送ラジオ 4:30〜6:00)
10月21日(金) 生電話インタビュー



★黒澤:7:30 起床。今日は土曜日であさぼらけお休み。
8:00 朝食(焼き鮭、玉子巻き、サラダ、海苔、味噌汁)は、冷めててガックシ。お米は自家製で炊きたてで美味かった。
10:00 チェックアウト後リュックを旅館に預かって頂き一茶記念館、小林家のお墓、俳諧寺のある丸山公園へ行く。まず一茶の等身大と思われる銅像で記念撮影。一茶と一族のお墓に参る。
俳諧寺を見てそこに設置されてた投句ボックスに石田と一緒に投句する。「一茶記念館」で、何と!「加賀の千代女」特別交換展をやっていた。僕の親父の出身地がこの千代女と同じ石川県松任市(現白山市)。
柏原(黒姫)で千代女展を見るとはかんがえもしなかった。これも何かの縁か!と感じ入る。
一茶句会で展示される「巴の錦」という菊の名の名付け親は何と!前田家第三代当主の前田利常とのこと。これまたビックリ情報。
11:50 黒姫駅構内の名物蕎麦屋で天ぷら蕎麦を食べる。エビ天2尾入って¥600。
山本さん、圓角さんから電話あり、13:00過ぎには別荘に着くとのこと。池上さんから電話あり、明日妙高高原で合流。糸魚川まで同道して頂くことになる。力強く有難いこと。感謝。
12:15 黒姫駅を妙高高原の山本別荘に向けて出発。予定距離15km。風もなく天気良好。足の状態も比較的良好。北国街道から離れて18号線、上信越自動車道に沿ってくねくねと北上。
13:30 二つ目の峠でトイレ休憩。ブルーベリーソフトクリームを食す。山中での冷たいソフトクリームは最高。黒姫温泉を左に見ながら坂道を下る。長野県と新潟県の県境に流れる関川を渡る。
14:30 山本さんが近くまで歩いて迎えに来てくれた。嬉しかった。
今まで黒姫山だと思っていた山頂が2つに割れている山が妙高山だったことを教えて頂き、石田もビックリ(笑)。別荘まで約2km。これがまた急勾配でかなりキツかった。
14:50 無事に山本別荘に到着。何と!美大の同級生の棒田君夫妻もいたのだ。
もちろんKANABIあ・そ・び・隊の圓角さんもいた。一瞬、金沢美術工芸大学の先輩後輩がこの妙高高原で集ったのだ。嬉しい瞬間だった。明日はKANABIあ・そ・び・隊の池上隊長が合流する。
参勤交代ウオーキングの中で幸せな時間をここで過ごすことができることに感謝。
16:30 山本さんに車で黒泥湯温泉に連れて行って頂く。黒泥露天湯に浸かり身体を癒す。ヌルめの白濁した湯が筋肉や皮膚に滲み透る。足を揉む。
石川県人会の山田委員長から手紙と10月10日の赤門前での出立式の写真が、友人からはビール1ケースが、妻からは羊羹とキャンディが、それぞれこの別荘に届き、嬉しかった。
17:30 山本さんが準備してくれた焚き火の側でバーベキュー。ビールで乾杯。参勤交代ウオーキングの中間地点での半達成感(笑)。
山の日が暮れ漆黒の中で焚き火にあたっていると、生きていることへの喜びと、明日からの気力が湧いて来た。皆さんに本当に感謝です。ありがとうございます。
ぐだぐだ駄句 ♪ 妙高の 寒さ温まる 焚き火哉
★石田:一茶記念館・お墓などを見て黒姫駅の蕎麦を食べ、12時に出発。今日はこれまでで最短の12㎞、美大先輩の別荘まで歩きます。
今日は、美大の大先輩、山本さんの妙高の別荘に泊めて頂きます。棒田さん夫妻も応援に来てくれました。圓角さんも同行応援のため、山本さん別荘に到着しています。温泉に入り、焚火を囲みながらビール・ワインを楽しんでいます。最高の体験です。
ぐだぐだ駄句 ♪ 妙高に ふわりふわりと 火の粉舞う




★黒澤:7:30 起床。昨夜は久々に酒をたらふく飲んで21時過ぎには就寝。10時間ほど熟睡した。
外は雨。碓氷峠以来の歩いてから2回目の雨。休息日で本当に良かったと思った。
8:00 山本さん手作りの朝食を頂く。鰆の西京焼き、野菜サラダ、煮物、味噌汁、炊きたてご飯・・。
11:00 新井の道の駅まで山本さんの車で夕飯の買い出しに。ここは売上日本一と聞く。
山の幸、海の幸、長野県新潟県の物産がところ狭しと並び売られている。レストランも充実。これで日本一になるのも頷ける。ついでに昼食も。じゃこ天蕎麦を頂く。山本さんご馳走様でした。
13:30 黒姫駅構内の名物蕎麦屋で天ぷら蕎麦を食べる。エビ天2尾入って¥600。
山本さん、圓角さんから電話あり、13:00過ぎには別荘に着くとのこと。池上さんから電話あり、明日妙高高原で合流。糸魚川まで同道して頂くことになる。力強く有難いこと。感謝。
12:15 黒姫駅を妙高高原の山本別荘に向けて出発。予定距離15km。風もなく天気良好。足の状態も比較的良好。北国街道から離れて18号線、上信越自動車道に沿ってくねくねと北上。
13:30 雨の中、明日投宿する二本木宿の松田旅館や二本木駅を事前視察。帰りはそこから旧北国街道を逆に関山、関川の関所まで走る。改めて「車」の便利さと味気なさを感じてしまう。
15:00 雨の中を妙高高原駅から歩いて池上さんが無事に到着。一緒に昨日連れて行って頂いた「黒泥湯温泉」に5人で再び入りに行く。露天湯で明日からのウオーキングに備え鋭気を頂く。
17:30 夕食。今夜は上肉タップリのすき焼き、刺身、野菜イカ焼きなど。昨夜、今夜と山本さんのもてなしに心から感謝。栄養が付き過ぎ食べ過ぎで体重が元に戻ってしまった(苦笑)。
18:00 お酒を頂きながら真田丸を皆で見る。10月10日からの参勤交代ウオーキングの現場撮影ビデオを皆で見る。街道筋で出会った皆さんの応援メッセージ録画が予想以上に可笑しく有り難く感じ入る。
22:30 就寝。
ぐだぐだ駄句 ♪ 秋雨に 心も身体も 霧隠れ
★石田:夜はすき焼き、イカ焼き、刺身と連日の豪華な食卓でした。山本先輩には感謝、感謝です。ありがとうございます!
ぐだぐだ駄句 ♪ 友集う 鍋もビールも 妙高も




★黒澤:6:30 起床。昨日の大雨、濃霧とは打って変わって晴れ!またまた神様が微笑んだ。
7:30 朝食。昨日のすき焼きの残り(これがまた美味しい)、焼き鮭、たらこ、野菜煮物、フレッシュサラダ、なめこ汁・・。もうお腹が一杯!!ギブアップ!
9:00 5人で山本邸出発。山本さんに旧北国街道野尻湖畔野尻宿まで運んで頂く。
9:36 大変お世話になった山本さんにお礼と別れを告げ野尻宿を出発。今日15日目はKANABIあ・そ・び・隊の池上隊長と圓角隊員の同道で、野尻宿から二本木宿までの約25kmを歩く。
隊員と歩くのは鴻巣宿~深谷宿の三谷隊員以来、4人で歩くのは戸倉宿~屋代駅までの島田さん、井川さん以来。やはり一緒に歩くのはいいもんだ。と実感。
10:00 18号と何度か交差しながら北国街道が続く。秋が深まりその街道から見る景色はカラフルでパノラミック。妙高山の頂上にはまだ雲がかかっているが周りは青空が広がり快適。
10:30 関川の関所に到着。何と!山本さんが居た!車で先回りしてたようだ。ビックリ。
佐渡の金山から掘り出された金も江戸に運ばれる際にこの関所を通過している。説明パネルの「女改め」の再現写真に隊員全員が興味を持っていたのが可笑しかった。
20分待って、新潟日報の山本支局長が到着。隊員4人での写真を撮影後、インタビューを受ける。明日の朝刊に掲載されるとのこと。広報的は有難いこと。すぐ隣に前田家の本陣であった大石家の跡があり、庭園がまだ当時にまま残されていた。
13:20 田切宿、大田切坂など続く。真龍院(前田家12代当主斉広の正室)が残した歌が「山人の あさな夕なに やすけなき わきを木こりの 世わたりににして」この山間地に住む貧しい人々の生活の様を見て詠んだらしい。親鸞聖人が袈裟をかけたとうう「袈裟掛けの松」を通る。
13:40 18号線沿いのドライブイン蕎麦屋に入り、十割蕎麦を頂く。つなぎはトロロで滑らかながらコシが強く旨かった。
14:50 再び旧街道を歩き関山宿の道標で撮影。
15:00 中郷地区に入ったところに数十本の杉並木が出迎えてくれた。そこに突然「上越タイムス」と書いてある軽自動車が止まった。二本木の観光協会会長の松原さんから情報を得てこられたらしい。この杉並木で写真を撮り後ほどインタビューということになる。
16:00 松崎宿、二本木宿の説明パネルを見つけて撮影。この街道筋には白山神社や本陣に使われた安楽寺、明治天皇小休止跡石碑などが点在し当時の面影を残していた。
16:40 二本木駅に到着。先程出会った上越タイムスの伊藤記者と改めてご挨拶。再度駅前で撮影し、インタビューは宿泊する松田旅館で行うことに。
16:45 松田旅館に4人揃って無事に到着。野尻宿より25km。202室で伊藤記者からインタビューを受ける。上越市周辺の情報を掲載するローカル紙らしい。でも有難い。明日は新潟日報と上越タイムスの二紙に掲載されることになりそう。
18:30 風呂に入って夕飯。7月に試験歩行した際に出会った松原さん(二本木観光協会会長)と松田旅館で再会!この旅館の手配から、上越タイムスの紹介まで全て松原さんのお陰です。感謝。
ビールはじめ「君乃井」と言う地酒までご馳走して頂きながら二本木のブランド化や新潟のローカル話しなどを聞かせて頂く。感謝感謝。ありがとうございました。
21:00 今日も無事に就寝。
ぐだぐだ駄句 ♪ 真龍院 の詠みし歌に ススキ哀し
★石田:13:40 昼食は妙高山麓の産直センターで。
16:45 今日も無事にゴール出来ました。写真右の方は地元の観光協会会長の松原さん。宿に到着後、上越タイムズ伊藤記者の取材を受けました。
ぐだぐだ駄句 ♪ 妙高山 元気で行けと 顔を出し




★黒澤:4:25 起床。今日も今日とてあさぼらけ・・を聴きながら日記付け。
昨日取材を受けた新潟日報に記事がでる。上越タイムスは明日掲載。
8:00 松田旅館朝食。焼き鮭、納豆、ウドの紫蘇漬け、海苔、温泉卵、味噌汁。
桶川で出会ったお節介叔父さん(石関さん)の紹介で新潟放送へこの参勤交代ウオーキングの趣意書をFAXする。出発が10分ほど遅れる。
9:10 二本木宿を池上隊長、圓角隊員、石田、黒澤の4人で元気に出立。
空は青く今日も晴れた。有難い。清々しい。足も回復した。
10:20 出光の給油所でトイレを借りる。女性スタッフに山の名前を聞く。
左から順に妙高山、ひうち岳、やき山がくっきりと見える。
10:30 新井宿に入る。連なる街灯に北国街道を記した看板が着いている。
上町、中町、下町と続く。その下町に差し掛かったところに古い板塀の蔵と高い煙突が見えた。「君乃井」の看板が。これって昨日松田旅館で頂いたあの「君乃井」酒造??。
結果は当たり!!あの大人の休日のCM撮影で吉永小百合が訪れたという酒造会社。4人でソロゾロと店の中に入ると、女性スタッフが出てこられ詳しく説明してくれた。
3年前の撮影風景の写真などが掲示されていた。美大OBの早川和良さんがCMのディレクターというのも奇遇な出会い。田中専務にもご挨拶して吉永小百合と一緒の場所で記念撮影して別れる。偶然とはいえ本当にワクワクした30分間だった。
真龍院がこの新井宿でも歌を詠んでいる「はるはると 谷峯こえて 今ここに こころあら井の 宿の瀧なみ」12:30 北陸新幹線上越妙高駅で昼食。池上さんビールと蕎麦、圓角さん田舎ざる蕎麦、僕と石田はラーメン。コーヒーを餞別で奢って頂いた圓角さんはここでお別れ。2日間の同道ありがとうございました!!ご無事に帰京されて下さい。
13:30 昼食後、とうとう雨が降り風が強くなってきた。慌てて民家のガレージでカッパを着る。
が、その後雨上がり風が止む。カッパを着ると中が蒸れて暑い。脱ごうかこのまま歩こうか迷い迷う。
13:50 高田の町に入る。雁木(がんき)というこの地方独特の雪除けの木製アーケードが連なる。右に高田城址に出る。堀は枯れた蓮子で埋まっていた。街道筋には明治天皇在所碑、白山神社など建ち並ぶ。
14:30 歩行中に新潟放送ラジオのアナウンサーから電話あり。明日の昼過ぎに携帯電話での出演をお願いされる。番組名「昼過ぎナマ、一番」とかなんとか・・忘れた(苦笑)。
15:50 関川に掛った謙信公大橋を渡る。ここまで来るとあの山本別荘側を流れていた関川とは思えないくらい川幅が広い。心なしか海の匂いがする。ようやく日本海に辿り着いた。
16:30 無事に直江津の宿「門前の湯」という温泉ホテルに着く。
チェックイン後にラジウム温泉に浸かり身体と心を癒す。
18:30 夕食。ホテル内居酒屋で池上隊長、石田、黒澤で無事到着の乾杯!
池上さんが君乃井で我々に買ってくれたカップ酒を持ち込み禁止を無視して頂く。旨い!!
21:30 就寝。 日常から非日常に、その非日常が日常に・・。
ぐだぐだ駄句 ♪ 歩み入る 越後の秋の 海匂ふ
★石田:大人の休日倶楽部、吉永小百合で有名な「君乃井」酒造で記念撮影。日本酒の試飲で身体も温まり、冷たい風にも負けずに歩いてます。
12:30 北陸新幹線上越妙高駅に到着。昼食休憩です。駅前の上杉謙信像前で記念写真。圓角さんはここから新幹線で帰京。圓角さん応援同行ありがとうございました!!
16:30 無事に直江津に到着しました。
温泉に入り、ビールお酒を飲んで、今日もまた酔っぱらっています。
今日のぐだぐだ駄句 ♪ 北国の 厳しさを知る 雪囲い

 
2016年10月25日(火) 新潟日報朝刊
 



★黒澤:4:25 起床。今日も今日とてあさぼらけ・・を聴きながら日記付け。
上柳DJが大谷のサヨナラ~。を野村監督のモノマネでオープニング。日本シリーズこれで広島2勝、日本ハム1勝。面白くなる。紙風船の「冬が来る前に」が流れる。小雨がパラついている。
6:30 朝風呂。ラジウム温泉が気に入りバタバタの中風呂場へ。デカイ湯船に僕一人。貸切(笑)。足を揉む。両足小指の豆が固まり皮膚がカチンコチン。これが16日間ウオークのご褒美か。
7:00 3人で朝食。鯖味噌煮、玉子巻き、ハム、海苔、味噌汁、カレー、ミルク、コーヒー。池上さんだけは洋食。上越タイムスに記事が載る。比較的大きめの記事でビックリ。同道者の圓角さん、池上さんも写真に収まっていて良かった。早速に石田が写真をFB用に複写。
8:30 小雨の中、門前の湯を後に能生宿へ出発。
9:30 見えた!白波立つグレーな日本海。何とも言えない感動が身体中にビビビッと走る。
水族館前で国道8号線を左に曲がり西に進む。居多ヶ浜に親鸞聖人上陸(念仏停止罪でこの地に流罪)の石碑が建っていた。
10:10 久比岐自転車道に入る。海岸縁と旧北陸鉄道線路跡を整備した全長33km。そこを歩く。
11:00 日本海ひすいライン線の谷浜駅を通過。薄日が差してきた。ラッキー。
旧北陸鉄道線路道は車の心配もなく歩き易い。煉瓦製のトンネル内をいくつか歩く。蒸気機関車が走ってた往時を思い出しながら歩く。
11:55 有明川のバス停で小休止。気温が上がり18度。今日は全国的に気温は高くなるらしい。
右に海、左に山が迫る。その山間に粋な小さな滝が。不動滝の看板。皆で記念撮影。
13:10 名立に入る。ようやくドライブインを見つけて入る。昼食。鍋焼きうどんを頂く。池上さんビールとツマミとラーメン。石田はラーメン&炒飯セット。13:20に地元放送局(BSN)の名前インタビューが入る。約5分ぐらい。あまり話せず向こうから切られてしまった(苦笑)。
太陽が出て気温がぐんぐん上昇。21度を超える。海の色がグレーからエメラルドグリーンにグラデーション。日本海ってこんな色にもなるのだと見惚れる。
14:30 名立宿。真龍院はここの名立寺に投宿して歌を詠んだ。
「なみの声 松あらしの 音そひて 旅寝のまくら 夢もみつかす」
15:20 糸魚川市に入る。友人から糸魚川市の街中に熊が出て人に怪我をさせたというニュースを送ってくれた。明日そこを通る。最近、熊出没が多い。怖いね~。
16:00 筒石の郵便局でハガキを購入。
ここの家並みが美しい。黒い瓦屋根。木板を貼った家壁。4階建もある家が連なる。後ろ走っていた最後のSL写真が飾ってあった?
16:30 雨が降ってきた。かなり風もあり民家の軒先でノボリをたたみ、法被を脱ぎ、リュックにカバーをかける。奥さんが何事かと玄関先まで出てきた。トイレを借りた上にリポDまで頂く。旅路での温かなもてなしに感謝。周りが暗くなってきて歩みを早める。
17:50 風雨の中、ようやく「かにや旅館」に無事に到着。しかし池上さんの旅館が道暗くて見つからない・・。ようやく見つけたと思ったら電気が消え鍵が閉まって呼び出しベルを押しても誰も出てこない。電話してようやく女将が出てきて「あら!予約忘れてたわ~」だって(苦笑)。
県人会事務局の皆さんからの応援メッセージがゆうパックで旅館に届いていた。感動感激!!
19:15 風呂に入り池上さんも合流して遅い夕飯。33km完歩。お疲れ様でした!で乾杯。
水っぽいカニを食べて肩が凝る。
22:30 疲れのせいか、かなり酒がまわり就寝。
ぐだぐだ駄句 ♪ 日本海 よう来たね~と 波の声
★石田:12:00 久比岐自転車道を歩いています。不動滝前、青木坂トンネルで記念写真。12時を過ぎても全然食べる所が無い..!
13:25 今日もラジオに電話ライブ出演の黒澤君。新潟放送(BSN)午後も一番すっきりワイドです。池上さんはビールでゆっくり。
12:30 北陸新幹線上越妙高駅に到着。昼食休憩です。駅前の上杉謙信像前で記念写真。圓角さんはここから新幹線で帰京。圓角さん応援同行ありがとうございました!!
16:30 無事に直江津に到着しました。
温泉に入り、ビールお酒を飲んで、今日もまた酔っぱらっています。
ぐだぐだ駄句 ♪ 歩いても 歩いてもなお 空と海
★池上:同行池上一句 ♪ ススキ越し 夕陽を追いて 線路路


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2016年10月26日(水) 上越タイムス
 
午後も一番すっきりワイド(BSN新潟放送ラジオ 13:00〜14:45)
10月26日(水) 生電話インタビュー



★黒澤:4:30 起床。今日も今日とてあさぼらけ・・を聴きながら日記を付ける。
冒頭マクラ、今日も日本シリーズ。日ハムが勝利。季節外れの気温上昇。東京は気温が高かったらしい。確かに日本海沿いの上越市も21度まで上がった。朝風呂入る。
7:30 別の旅館に宿泊した池上さんと一緒に朝食。焼き鮭、しめじのオムレツ、キャベツ、胡麻豆腐、海苔、味噌汁。身支度。この「かにや旅館」は相撲が強い能生中学の下宿所になっている。廊下には過去のトロフィー、盾が並び、棚には部員の優勝写真と一緒に先日亡くなった九重親方(元千代の富士)の遺影が飾ってあった。
9:05 池上さんと3人で能生宿を出発。車を避けて今日も久比岐サイクリングロードを歩く。
昨夜とうって変わって秋晴れ。気持ちがいい~。
9:15 国の重要文化財指定の白山神社(1515年建立)の多層重厚な屋根に釘付け。その後に「上越タイムスを読んだよ」と言って呼び止められたおじさんはこの神社の総代らしく「白山神社の常夜灯見た?あれは前田家からの寄進で裏っかわに梅鉢の紋も刻まれているよ」だって、残念見落としてしまった・・。
10:40 休憩。日本海の海岸線を歩く。波が荒く昨日とまた海の色が違う。
石田が「向こうに霞んで見える半島まで今日は歩くよ」と四重五重に連なる海と陸の端を見る。
11:30 美大の後輩で糸魚川市中宿で生まれたという水野さんの生家を探す。
「生家を探すこんな番組あったよね?」と池上さん。
11:55 早川の手前梶屋敷で「あらた浜史跡」の看板を見つける。上杉時代の古戦場や芭蕉が早川を渡る際に衣類を濡らしたと曾良日記に書かれている場所らしい。
13:10 糸魚川市街に入る。石田の足にまた豆ができたみたいで足が遅くなる。
彼が見つけた中華レストラン「月徳飯店」(早稲田大学校歌の作詞である家相馬御風の生家前)で糸魚川名物の「糸魚川ブラック焼きそば」食す。目をつぶれば普通のソース焼きそば。イカスミの味と香りははソースに負けてしなかった(苦笑)。予定通りMROラジオから生インタビューが入る。石田も声出演。池上さんは「俺に絶対振るなよ!」って。
11月3日は金沢城に中継車で待機してくれるらしい。「おいね・どいね」に感謝です。
14:15 野尻湖から4日間同行していただいた池上隊長と糸魚川駅前でお別れ。ありがとうございました。元気をいただきました!前田家の本陣だった「加賀の井酒造」に立ち寄る。前田家三代当主の前田利常公が加賀の名前を使って良いと許可したらしい。
16:20 姫川を渡り次の川で鮭を投網で獲っているところに出くわす。入れ食いというやつか!?丸々と太って脂の乗った鮭が面白いように獲れていた。ビデオで撮影。
17:00 青海宿に到着。夕陽が綺麗なんで海岸まで出て撮影。今日は穏やかで見事な秋晴れだった。
「旅館河な美」にチェックイン。風呂で足揉み。マメがまた硬くなった。江戸時代の人々の足裏に近づいているかも(笑)。
18:15 夕食。サンマ塩焼き、ブリの刺身、焼き鳥二本、枝豆、ビール。
昨日の熊出没ニュースの現場は正にこの旅館の前の蕎麦屋だった事を知る。その夕飯の最中にも熊出現のアナウンスが村のスピーカーで流れた。碓氷峠ではなくこの糸魚川市内での話。イヤ~ビックリ!
20:30 日本シリーズ見ていたが1:1の同点ながら8回まで見て寝てしまった。
ぐだぐだ駄句 ♪ 沈む陽や かすみ見ゆ能登の 影残し
★石田:9:00 今日も元気にスタートです。かに屋旅館女将さんと。
10:40 浦本漁港の風景。海も空も綺麗。
14:46の新幹線で池上隊長、東京へ帰ります。応援同行ありがとうございました!
夕刻 青海の夕日、今回の旅で初めての夕焼けです。
17:00 今日も無事、旅館に到着しました。「熊が出た〜。ここに出た〜。マスコミも来た〜。」と大熱演の旅館の女将さん。夕食中に「午後5時、午後7時にも熊が出てます。外出の際は十分お気をつけください。」と広報車が放送してます。女将さんは「家に泊めてくれ、と熊が来たらどうしよう?」「熊泊めたらお客さんみんなビックリよ!」とまたまた賑やかです。
ぐだぐだ駄句 ♪ FBの 投稿チェック 秋の道
★池上:13:20 糸魚川駅近くの中華レストランで昼食。私だけビールと老酒。ごめんなさい。

おいねどいね(MRO北陸放送ラジオ 13:00〜16:25)
10月27日(木) 生電話インタビュー



★黒澤:4:00 起床。オールナイトニッポンを聴く。かなり過激な下ネタトークとお葉書内容にビックリ!
昔もこんな内容だったかな〜。喋りが青いだけにネタがリアルに感じる(笑)。
4:30 今日も今日とてあさぼらけ・・日本シリーズは途中で寝てしまったら、何と西川の逆転満塁ホームランで日ハムが3連勝。だったんだ。凄く面白い試合が多い今年の日本シリーズ。ユックリ見たいな〜。
5:20 ディレクターの石田誠さんから電話あり。我が石田誠も無理無理スタンバイ。すまん!
携帯で生放送中のパーソナリティの上柳さんと5分ほど話す。何を話したか・・そうそう糸魚川市内青海地区に出た子熊の話だ。石田が毎回撮ってくれる写真見て(笑)。
7:30 朝食。鱒の塩焼き、豆腐、納豆、生卵、漬物、味噌汁。身支度終え、昨日完全に折れたノボリの棒(東急ハンズで買った伸縮自由の指差し棒)を、女将と石田と3人掛かりで修復。玄関出たら熊の足跡。思ったより小さい。碓氷峠で出ないでこの街中ででたのにはビックリ。
8:40 「河な美旅館」を出発。熊騒動の明るい女将に見送られる。
一路入善に向かって国道8号線を歩く。
9:10 上杉景勝の居城、勝山城址の看板。ほぼ300mの勝山まで登る時間と力無し。
10:00 子不知の「駒返トンネル」を抜ける。木曾義仲があまりに険しいのでここで馬を降りて返したということから名前がついたらしい。この辺りから北陸自動車道が海の上を走る。橋架は完全に海に迫り出しその中に立っている。何でこんな設計になったのか・・?。わざわざ海の上に。工事費がトンネルを掘るより安かったんだろうか?分からん。
10:20 親不知ピアパークという道の駅でトイレ休憩。ここら辺りに来ると「親不知」の名称がやたらに出てきてホンマの「親不知」はどこやねん!と突っ込みたくなる(笑)。
コーヒーショップの女性にこれから向かう本物の「親不知」の情報を得る。
12:00 親不知入口?or出口?にある「ホテル親不知」に着く。
ここにあった看板の説明が分かり易く石田がパネル撮影。我々は第二世代の道「親不知コミュニティロード」を行くことに。これで国道8号線のロングトンネルはまず回避できた。
この第二世代道は明治天皇の北陸巡幸後で苦労した天皇の直命で出来た道らしい。岸壁に「如砥如矢」(砥石のように滑らかで矢のように早い)の文字が刻まれていた。
難関の親不知は第一世代の波打ち際をもう歩くことができず、国道8号線のスノージェッドと呼ばれる雪崩や落石から道路を守るためのトンネル(左側がピロティみたいになって海が見える)内を延々と歩いた。時折大型トラック、トレーラーが行き交う。歩道がないので怖い。立ち止まる。点滅ライトを付ける。でも怖い。風が舞い、排気ガスを撒き散らす。喉がイガイガに。何とか親不知を抜けたら気が抜けた。
13:00 市振宿に入る。
宿の東入り口の老松「海道の松」(樹齢150年)がつい最近自分で倒れた。人や民家に迷惑掛けずに・・。賢い松だったと雑貨屋の女将が教えてくれた。
長円寺で松尾芭蕉の句碑を見て、芭蕉、曾良が投宿したという桔梗屋跡へ。「一つ家に 遊女も寝たり 萩と月」と詠み、その後に同じ宿に泊まった良寛は「市振や 芭蕉も寝たり おぼろ月」だって・・いいね!
13:40 雨が酷くなる。市振の道の駅で遅い昼食。
僕、素うどんとミニカレーライス。石田ブラックラーメンと稲荷おにぎり。
カッパズボンを履き傘さして歩く。
15:00 新潟県と富山県の県境の境川を渡る。ここが文化、言語の分岐点になるらしい。
一番違うのは東西の言葉のイントネーション。イシ、ハシの語尾が上がるか、下がるか。この川の左右で別れる。とある本で読んだ記憶がある。市振の雑貨家の女将さんも「境川を越えると言葉が全然違うの。何となく言葉が汚いの・・」って。雨が降ったり止んだり。
16:00 雨が激しくなり靴カバーを付ける。
途中で北日本新聞に電話する。今回は見送り。チューリップテレビに電話する。11月1日に富山市内で取材受けることになる。
17:00 泊辺りを通過。周りは暗くなり点滅ライトにヘッドライトをつける。
石田も黒澤も無言で黙々と歩く。歩く。足指の豆が痛い。新しいところ(左足薬指の内側)が痛い。石田は痛みが引いたのか今日はガンガン歩いている。
17:50 小川という川を渡り入善町に入る。雨足は弱くなりつつある。
18:40 宿泊先の「ちとせ旅館」に着く。足が棒、豆が痛い。身体が怠いの三重苦。石田はスイスイと部屋に入る。何でやねん!!その元気は?(苦笑)。スゴイやっちゃ。
19:30 風呂急ぎ入り、遅めの夕食。
鰤刺し、鯖香味餡かけ、サヨリに似た子持ち焼き魚、鶏肉八宝菜など。洋食風中華風の味付けで少し食傷気味に。身体が言うこと聞かず、石田に失礼して先に部屋に戻り20:30には寝る。
おやすみ。
ぐだぐだ駄句 ♪ 親不知 抜くまで待とう 海千鳥
★石田:8:30 旅館出発!旅館の前に熊が出た。熊の足跡もバッチリ。
10:00 第一の難所、子不知を抜けました。駒返しのトンネルも無事に通過。スノーシェッド(雪崩避けトンネル)が多くその中は道幅が狭く大型トラックが通るたびに立ち止まっていました。
親不知抜けのひとコマ。二人の間の断崖が、その昔、最大の難所であった海岸線。
18:40 本日も何とか、親不知を越え、長距離歩行34㎞を越え、宿に無事到着しました。
黒澤君、結構来てます...!明日は待ちに待った休養日でーす!
ぐだぐだ駄句 ♪ 親不知 子も知らぬのか 鴉達
       ♪ 電鉄の 燈火(ともしび)走る 秋の夜

 
上柳昌彦 あさぼらけ(ニッポン放送ラジオ 4:30〜6:00)
10月28日(金) 生電話インタビュー



★黒澤:7:00 起床。昨夜は20:30に寝たので10時間ほど寝たことになる。
1:30に途中小便に起きてから熟睡はできなかったが。
身体が怠い。石田はもう朝飯に行ったようだ。遅れて朝食。焼き鮭、豆腐、納豆、野菜煮物、つみれ汁。
午前中 今日は土曜日で金沢までの最後の休息日。テレビを見ながらボケーっとする。
何か気が抜けてような、風邪を引いて治って寝過ぎた身体を寝床から起きるような感じの怠さ。
石田はレンタル自転車で宮本輝の小説の舞台になった場所「愛本橋」あたりまで行ったらしい。元気やなぁ〜ホンマに(笑)。
12:00 外に出る。雨上がりで寒い。気温14度。ぶらぶら昼食探しに商店街に出る。本当に人がいない。車も少ない。北陸中日新聞高岡支局の山本記者から電話あり、1日富山市内で取材受けることに。
観光案内所で地図をもらい調べるが松尾芭蕉の句碑が黒部川のほとりにあるくらいで旧街道や大名行列に所縁がある史跡は近くにはないみたい。
入善町民会館コスモホールで入善名物の「入善ブラウンラーメン」を食べる。味噌にエビなど海鮮のエキスを入れて旨味を出した野菜ラーメン。麺は普通の黄色い中太麺。600円。美味かった。
13:30 施設内に図書館があり、小林一茶関連の書籍を借りて読む。
琵琶の演奏会が始まった。鈴木まどかさんと言う前田流平家詞曲相伝者の平家琵琶と語りだった。
こ入善町出身の入善小太郎行重にちなんだ「篠原合戦」を聞く。琵琶の音色と語り口が緩く、ゆったりとして心が休まり眠くなった・・。
15:00 北陸中日新聞金沢支局の田島記者からも電話あり、3日に津幡から下街道を下る時に大樋町で地域盛り上げている人から、我々が通過する時に挨拶したいとの連絡がありそこで取材したいとの意向のようだ。追って調整することに。
16:00 商店街の唯一のファミマでおにぎりを買い込み部屋喰いし少し眠る。
明日からまた歩く。その準備は出来た。
17:00 遅めの日記を付けアップする。日本シリーズ広島、日ハム戦を見届けて22:30に寝る。
明日は晴れそうなので、抜けていた「気」を取り戻し金沢城まで歩く決意を新たにする。
ぐだぐだ駄句 ♪ 秋の夜や 独り飯食う 旅の宿
★石田:7:30 おはようございます。今日は休養日、黒澤君はまだ朝食に来ていません。一人でお先にいただきます。黒猫は旅館の「クマ」ちゃん、ご縁がありますねぇ...。
13:40 宮本 輝の小説「田園発港行き自転車」の中心的な舞台となる「愛本橋」にレンタサイクルでやって来ました。久しぶりに乗る自転車は爽快です。
パノラマ写真は愛本橋から見る黒部平野。黒部川の先は日本海、
ぐだぐだ駄句 ♪ ぽつりぽつり 灯りが点る 秋の闇




★黒澤:7:00 起床。朝食。ホッケ、油揚げ煮、卵ほうれん草のキッシュ、昆布、シメジ汁
NHKニュースを見てたら何と!一合升展の際に取材して頂いた橋爪アナウンサーが出ていてビックリ!!
8:30 「ちとせ旅館」出立。天気良好。風無し肌寒い。白馬岳、朝日岳が霞みながら眺望できた。
これから富山市内まで左に北アルプス、立山連峰が、右には日本海を望みながら西方に歩くことになる。
石田が昨日自転車で行った「愛本橋」の話を聞く。この辺りは黒部川の扇状地で愛本橋はその扇の要に当たる所にあり、江戸時代の参勤交代ここを通ったらしい。
黒部川は暴れ川(黒部48ヶ瀬)として雨が降ると流れが変わり危ない川として有名だった。
加賀藩5代当主前田綱紀が架橋を命じたらしい。その話を北陸新幹線開業時にNHK特番でやっていたのを思い出した。近くに舟見城址や本陣跡があったらしい。僕も元気だったら行きたかった・・。
9:05 国の重要文化財「杉沢の沢スギ」を通過。
9:45 入善町飯野地区で湧水をペットボトルに水を入れているじいちゃん、ばあちゃんと会う。この辺りは北アルプスからの水が地下に染み込みこの辺りで自噴するらしく、いたる所に湧水井戸がある。魚津市まで続く。美味い!この水は美味かった。
入善弁で婆ちゃんが「この水飲んだら長生きするよ〜」って。2日前に市振のオバちゃんが「境川を越えたら言葉が全然違い汚くなるよ(笑)」と言う話を思い出した。僕にとったら汚いと言うよりどこか金沢弁に似た懐かしさを感じ、いよいよ近づいた!と言う気持ちにさせてくれた。
10:00 入善湧水公園でトイレ休憩。田圃の中にギリシャ?、ペルシャ?遺跡風のコンクリート製のモニュメント建築群。ちょっと頂けない。税金の無駄使い・・(苦笑)。
11:30 磯香り、漁船の油の匂い・・黒部漁港をぐるっと巡り道の駅「魚の駅」で早昼飯。ジワもんの白エビのかき揚げ丼を食す。小ぶりの丼にてんこ盛り。しかし、白エビの数が少なく玉葱ばかりという結果。残念。ここは人だらけ。日曜で子連れ家族、ジジババグループが目立った。
13:10 片貝川(布施川)を渡り魚津市に入る。
旧十二銀行(北陸銀行の前身)の古い立派な米倉が残っていた。ここが「米騒動の発祥の地」らしい。大正7年7月23日をに米騒動が起きた。その日を「魚津米騒動の日」として制定されたらしい。明治天皇御在所跡石碑を発見。パシャ!
15:30 魚津の観覧車!でトイレ休憩。いつも新幹線の窓から見える。目立つ観覧車。海に面し、潮風にさらされていて人が来るんだろうかと不思議に思っていたが家族連れで一杯だった。安心した(笑)。「魚津ミラージュランド」というレジャーランドで、メリーゴーランドなどの子供用の乗り物が多かった。
16:00 金沢美大開学70周年「金の美大展覧会」の谷実行委員長と池上事務局長が参勤交代ウオーキング応援に金沢から車で駆けつけてくれた。リンゴ、柿、団子などの差し入れを県道1号線沿いのコンビニ跡の駐車場で座り込み頂く。有難い!ご馳走さん!!
滑川のホテルまで一緒に歩く。谷委員長にリュックを暫し担いでもらい助かる。
17:00 サンルートホテル滑川に無事に到着。谷さん、池上さんのサプライズ伴歩応援に感謝!!
17:30 近くのスーパーに夕飯買い出し。ランドリー洗濯。
「真田丸」見ながらFBチェック。いつの間にか寝入る。
ぐだぐだ駄句 ♪ 霞む能登 未だ見ぬ見たい 蜃気楼
       ♪ 歩く友 その影踏みて 秋の暮れ
★石田:7:30 おはようございます。今日は滑川まで27㎞。
昨日1日ゆっくりと休んだので元気に歩きます。
8:30 今日も元気にスタート!薄曇りの歩行日和です。
11:30 黒部川を越え、黒部漁港隣接の道の駅で早めの昼食。
富山湾の宝石、白海老かき揚げ丼。美味い
17:00 無事に宿に到着しました。滑川市に入ってから金の美実行委員長の谷さんと事務局長の池上さんが応援に来てくれました。差入れの柿とリンゴとお団子、疲れた身体に効きました。宿までの足取りがガゼン軽くなりました。
ぐだぐだ駄句 ♪ 応援の 団子ぺろりと 平らげて
       ♪ 穭田(ひつぢだ)や 墓石の先 日本海




★黒澤:4:55 起床。
5:00 今日も今日とてあさぼらけ・・を聴きながら日記を付ける。
ホテルの窓から滑川駅の駅名看板が見え、その向こうの北アルプスから陽が昇った。今日も晴れそう!!
朝食。焼き鯖、ひじき、豆腐、納豆、海苔、温泉卵、味噌汁。
9:00 ホテルサンルート滑川を出立。旧市街を行く。「宿場町」の旧街道ルートサインが道々に立っている。徳城寺に立ち寄る。あった!芭蕉の句碑が。「早稲の香や 分け入り右に 有磯海」
本陣が使用不能の時に代わりに使われたという養昭寺に立ち寄る。大きなお寺だがあまりメンテナンスがされてなく見すぼらしさだけが印象に残った。源義経が立ち寄ったと言われる加茂神社始めこの町には神社が多い。
10:15 滑川市から富山市に入る。
水橋宿を通り常願寺川にさしかかる。河口に砂山ができて海水と淡水が混ざり合う汽水域に美しい波紋と砂紋を作り出していた。そこに掛かる今川橋の上で後ろを振り返ると北アルプスと立山連峰が屏風のように立っていた。石田が思わずパノラマで撮影。左端にはこれまで歩いてきた黒部、魚津の街並みが、海の向こうには能登半島、珠洲が霞んで見える。絶景だった。
10:45 常願寺川渡った辺りから岩瀬まで「古志の松原」という松原が数キロ続いたらしい。
11:15 「親鸞聖人腰掛けの松」を見つける。上越に流された際にこの樹齢800年(幹の直径150cm程)のデカイ松の下で休んだという伝説の松。今は切株だけが残っている。
近くに「飛びだんご伝説と熊野地蔵」の説明パネル(写真参照)に石田が食いついた。何とこの「飛びだんご」が岩瀬の名物だんごになっていた。試しに食べようと思ったら10月中旬でその季節は終わって叶わず。きな粉と餡子を塗しただんごらしい。
12:00 浜黒崎の松並木が少し残っていた。この並木は前田家二代当主前田利長が参府の際に、街道の美観と冬期積雪時の往来の便を考えて、この北陸街道に植樹したのが始まりだったようだ。
12:30 岩瀬に到着。富山ライトレール(路面電車)の富山港線の終着駅「岩瀬浜」があった。
岩瀬カナル会館で昼食。富山寿司を食す。このウオーキングで初めての寿司。やはり白エビ握りが甘く旨かった(笑顔)。ゴール3日前の祝いでチョイとビールで乾杯!
13:30 東岩瀬へ。ここは加賀藩の官道だった宿場町、港町。富山市内にここまで当時の海商の家並みを残した通りがあったこと自体に感銘。知っている人が少ないのでは?
中でも廻船問屋の森家は博物館化してて100円で見学できた。昭和30年代まで倉レ創業者大原家の迎賓館に使用されていたらしい。一見の価値あり。
16:00 NHK富山を訪問。2002年に開催した「東京けやき会/一合升で遊び升展」で取材をして頂いた橋爪秀範アナウンサーと14年ぶりに再会。きっかけは入善の夕飯時にNHKニュースを見てたら何と!橋爪さんが出ているじゃあ〜りませんか。速攻でNHK富山に電話してアポ取り再会となった次第。
※後日、橋爪さんがご自身初のブログとしてNHK富山放送局のブログで紹介してくださいました。
http://www.nhk.or.jp/toyama-blog/100/
17:10 宿泊先「いなり鉱泉」というホテルに到着。明るいうちに着けてホッとする。僕は腰、石田は足豆を気にしながらも何とかクリア。スーパーで夕飯と明日の朝食を仕入れて部屋食い。
その前に銭湯のような鉱泉に浸かり22日目の疲れを癒す。あと3日。足豆これ以上できないだろうなぁ〜と思いながら揉む。部屋に戻ったら美大同期の竹綱君から電話あり。サプライズ同道する為に我々と同じホテルにチェックインしたら我々は宿泊していないことが判明し電話したとのこと。古い行程表を渡しててホテルを変更したのを伝えてなかった(苦笑)。でもこのサプライズに感動。明日高岡まで一緒に歩くことにする。有難い!
夕飯。フランスパン、レタス、ハム、チーズ、ハーフワイン。
22:00 就寝。
ぐだぐだ駄句 ♪ 岩瀬浜 重き荷を解き 秋の幸
★石田:9:00 おはようございます。千葉東京から法事で帰省した方々と。
今日は19㎞歩いて富山泊まりです。
10:15 やったー!富山市に入りました。
能登半島と日本海と北アルプスのコラボレーション!をパノラマ撮影。
12:30 今日はあと8㎞、気を引き締めてビールで乾杯!!
16:00 NHK富山放送局に黒澤君旧知の橋爪アナウンサーを尋ねました。(取材ではありません)
女性は岸本アナウンサー。その後17:30に今晩の宿に無事到着しました!
ぐだぐだ駄句 ♪ 越中路 お地蔵様と 肩組んで




★黒澤:4:20 今日も今日とてあさぼらけを聴きながら日記を付ける。
外は真っ暗。雨はまだ降ってないみたい。朝食。昨日夕飯と一緒にスーパー買ってきたフランスパン、レタス、パックサラダ、ブルガリアヨーグルト、柿。
8:30 原秀二さんがホテルに到着。彼は高岡市在住で美大の10年後輩。KANABIあ・そ・び・隊の重原隊員の息子さんと高校の同級生という関係でこの参勤交代ウオーキングに同道してくれることになった。一昨日の富山マラソンをフル完走したとは思えない足取りでいろいろサポートして頂いた。一緒に「いなり鉱泉」を出立。予報どおり雨が降って来た・・。
9:10 昨夜サプライズで富山に来てくれた竹綱君と富山駅前の横断歩道でドッキング!。この後呉羽駅まで雨の中を一緒に歩いてくれた。ありがとう。力強く嬉しかった。
9:40 チューリップテレビのニュースクルー(報道制作局の越大地さんとカメラマン)と富山駅で会う。
外は雨。富山駅舎の軒下で石田と二人でインタビュー受ける。通行人はあまりいなかったが目が泳ぎやや緊張。
10:00 前田利長公が2年間住まわれた富山城址まで歩く。ここでも撮影。竹綱、原両氏も撮影に協力してもらう。そのまま宿場町の小杉まで歩く。カメラクルーも同道しながら質問を受ける。
呉羽峠を越える頃には雨足が早くなり傘をさし、リュックにカバーをかける。呉羽駅で竹綱君と別れ彼は大阪にむかった。
13:30 射水市役所小杉地区センターで「赤壁屋酒屋」という建造物を探して貰う。場所をようやく突き止めた。昼飯は原さん推薦の「富山ブラックラーメン」 発祥の店に入る。「いろは本店」。室内案内板には「東京ラーメンショーで4連覇!」した由緒あるブラックラーメン店。魚介の味が濃く旨かった。原さんにご馳走になる。感謝。
14:30 戸波加茂神社へ行く。小杉の本陣(現在の福祉会館)の一部が社務所として移築されたらしいが、その社務所がどれか判明しなかった。ここにも チューリップテレビのクルーが来て撮影。隣の小杉小学校は原さんが通っていた小学校だった。雨に加え、風が強くなって来た。傘がお猪口になる。寒い。手が冷たい。原さん元気。リオ五輪女子柔道で金メダルを獲得した田知本遥さんの母校、小杉高校の前を偶然通り記念撮影。パシャ!
14:50 探していた「赤壁屋酒屋」が旧街道沿いに見つかった。その住人に話を聞いた。表札に「赤壁」と書いてあった。赤壁さんという酒屋さんの店舗家屋だったんだ。赤茶に塗られた壁、板ひさし、雁木、格子戸など、当時の宿場町の店舗の面影をそのまま残していた。あのニュースクルーはここまで追いかけて待っていた。ビックリ!こんなに我々のみを長く密着して他のニュース取材は大丈夫なんだろうか・・と心配になる。9:30から始まった我々の取材が終了。18:15からのニュース間に合わすらしい。頑張って!とここで別れる。どんな編集になるか楽しみでもあり怖くもある。
16:20 庄川を渡る。雨が小降りになって来たが風はまだ強し。北陸中日新聞高岡支局の山本記者電話し高岡古城公園で待ち合わせすることに。近くまで迎えに来てくれた。思ったより若く明るい記者だった。
16:30 KANABIあ・そ・び・隊の三谷隊員が金沢から駆けつけてくれ高岡古城公園で再会。ありがとう!!その石碑前で新聞用の撮影。すでにニュースリリースを渡しているので記事原稿は大体書き終わっているらしく、追加取材程度の取材を受ける。原さんのナイス判断で前田利長公の騎馬像の前でも撮影し、どの写真を使うかは明日の掲載のお楽しみ。
17:20 既に空は真っ暗。雨が止んで明日は晴れそうだ。高岡城址の上空にはカラスの大群がギャーギャー啼き叫び非常に煩く怖い。こんなカラスの群は見たいことがない。ヒッチコックの「鳥」より怖い。
ホテルに入る前に日本三大大仏の一つ「高岡大仏」を見る。ライティングでその姿が浮き上がって見え霊験あらたかに感じた。
17:45 ホテルクラウンヒルズ高岡に到着。原さん雨中を今日1日伴歩ありがとうございました。最高のナビゲーターであり、サポーターでした。明日もよろしくお願いします!三谷隊員と一緒にチェックインし、夕飯へ。近くの沖縄料理店でビールで乾杯!ソーキそばで腹ごしらえ。
23:00 就寝。
今日のぐだぐだ駄句 ♪ 秋寒し 急ぎ見たれば 小杉宿
★石田:8:30 いなり鉱泉、出発します。左の方は重原さんの息子さんの友人で美大の後輩、原さん。富山駅前で竹綱さんと合流。昨日のKANABISM展搬入で金沢に来ていました。今日は二人とも高岡まで同道です。ありがとう!!
10:20 富山城でチューリップテレビの取材を受けています。
13:30 富山名物ブラックラーメンの名店「いろは」本店にて昼食。いただきまーす!
竹綱さんとは呉羽の駅でお別れしました。ありがとうございます(^_^)!!
17:45 今日も元気にホテルに到着しました。三谷さんが高岡古城公園に応援に来てくれ合流しました。明日一緒に津幡まで歩きます。今朝から同行の原さんとはホテルで別れました。寒い中応援ありがとうございました!! 感謝感謝です!! 夕食は沖縄料理店です。
ぐだぐだ駄句 ♪ 秋雨と 風に負けるな 富山道




★黒澤:6:00 起床。寝坊してあさぼらけを聞けず。
6:30 朝食バイキング。鮭、納豆、とろろオクラ、昆布、味噌汁、コーヒー。
7:20 原さんが出勤前にホテルまで車で迎えに。昨日時間切れで行きそびれた加賀藩二代目藩主/前田利長公墓所とその菩提寺である国宝「瑞龍寺」に連れて行って頂く。どうしてもこの二つは高岡では行きたかったところだったので原さんに相談したら「ホテルに車で迎えに行き、ホテルまで送ります」とのことでこれならルール違反にならないとの石田との判断で実行。その間約30分。こんな時、車って何て便利なんだろうと改めて思う。
●まず墓所へ。瑞龍寺から500mほど続く長い参道の先に入り口がありそのまだ先に堀に囲まれた静かで立派なお墓があった。県人会の梅鉢紋付き法被を着て参る。ちょっと気持はその気分になった。
●瑞龍寺の門は時間が早く閉まっていた・・。残念!と車に戻ろうとしたら、何と!ギギ〜ギギーと門が開いた!守衛のおじさん「本当は入場料いるけど、今日は目をつぶるから入っていいよ」って。何から何までラッキー(笑)。流石国宝。山門、法堂、仏殿の全ての作りがが美しい。ほんの5分ほどの拝観だったが至福の時間だった。
8:10 ホテルに戻りチェックアウト。リュック背負い津幡に向け石田、三谷、黒澤の3人で出発。
8:30 ファミマで北陸中日新聞を買う。昨日の山本拓海記者の記名記事が載っていた。「参勤交代の旅 挑む2人 あす金沢到着へ 高岡入り」の見出しが。有り難い。
9:05 早くもローソンでトイレ休憩。
フッと南方を見ると初冠雪(後でニュースで知る)した白山(はくさん)が見えた。感激。白山は石川県民に特に金沢加賀の人々には大切な天気予報の山。見えたら晴れ。曇ると雨。みたいな。
三谷隊員はマメに写真を撮ってFBにアップ。逐一参勤交代ウオーキングの報告をしてくれて助かる。あんやと〜。
10:30 福岡宿入る。北陸電力の検針レディから「テレビ見ましたよ。凄いです。頑張って下さい!」と励ましの言葉。嬉しいと同時にメディアの伝播力にまたまたビックリ。
この辺りの旧北陸街道には松が植えられていたが当時の松は既に無く新しく植樹されていた。福岡宿には袖壁、雁木がついた町家が多く残りゆっくりと時間が過ぎている感じがした。
11:00 加賀藩本陣に使われていた長安寺に寄る。記念撮影していたら「竹綱さん知ってます?」と男性の声。偶然にも長安寺の真向かいに実家のある蓑島毅さんだった。彼は竹綱君の仕事関係の知人で昨日のチューリップテレビニュースを見て知っていたものの、今日この時間に我々がここに来ることは知らず全くの偶然だった。この出会いも本当に不思議で素敵な出来事だった。
12:30 小矢部川を渡り石動(いするぎ)に入る。小矢部川は小ぢんまりとして美しい川だ。
長野宿で陣中見舞いに来てくれた美大後輩の水野さんが再び石動に来てくれた。ありがとう!一緒に昼食。ラーメン&チャーハンを食す。何と!西村東海支部長もこの場に応援に駆けつけて下さった。我々全員の昼食代を出して頂く。ご馳走様でした!
15:00 津幡町健康ウオーキング会のメンバー3人に出迎えを受ける。その会長の福田さんは、私がお世話になっている宮下印刷の宮下会長の高校時代の友人。宮下会長から聞いて倶利伽羅峠まで駆けつけたとのこと。津幡駅前の「だるま旅館」までの十数キロを6人一緒に歩るく。ありがとうございました。感謝。
16:10 倶利伽羅道の駅でトイレ休憩。水野さんから貰ったぶどうとマロングラッセを津幡ウオーキング会の皆さんと美味しく頂く。館内には倶利伽羅の古戦に因んだ資料や加賀藩参勤交代の倶利伽羅峠越えの図なども展示してあり興味深かった。
17:10 「だるま旅館」到着前にまたまたサプライズ。夕暮れでシルエットでしか見えない・・・。あっ!宮下印刷の宮下会長はじめ社員のみんなが総出で出迎えだ。え〜!ビックリポン。みんなからのメッセージ入りのサプライズTシャツを頂く。明日これを来て入城しよう。これにはビックリして疲れも忘れ感激した。ありがとう〜!
18:00 旅館の食堂に行くとまたまたビックリ。以前市役所のプロジェクトでご一緒した吉田洋さんがいた。FBで聞いていたが本当に来てくれた。ありがとう〜。一緒に夕食へ。近くの回転寿しで無事津幡着の乾杯!いよいよ明日は金沢城入城・・。部屋にいたら、何と!安田薫さんが陣中見舞いに。これまたビックリ!元気ドリンク頂き頑張るぞ!と伝えて感謝。
21:00 旅の宿最後の夜。これまで応援して下さった方々の顔や言葉を胸に秘めて元気に入城したい・・。ありがとうございました。おやすみなさい。感謝。旅の宿最後の夜。これまで応援して下さった方々の顔や言葉を胸に秘めて元気に入城したい・・。ありがとうございました。おやすみなさい。感謝。
ぐだぐだ駄句 ♪ 津幡宿 ここまで来たかと 暮紅葉
★石田:15:00 やったー!! 石川県に入りました。
津幡町健康ウォーク会の方々が出迎えに来て頂きました。ありがとうございます!!
倶利伽羅峠頂上から。遥か先に日本海が見えます。
ぐだぐだ駄句 ♪ 澄み渡る 高岡の空 野焼き哉
★三谷:6:30 朝ごはん@ホテルクラウンヒルズ高岡。出発早いので皆さん大忙し(о´∀`о)
8:12 ホテルクラウンヒルズ高岡を出立。津幡まで約31kmがんばりま〜す(°▽°)
10:13 旧北陸道の往環松跡
12:16 小矢部川を渡り、小矢部市街に入ります。
14:45 倶利伽羅峠越え
18:35 お疲れ様(๑˃̵ᴗ˂̵)夕食で〜す(о´∀`о)
同行三谷のぐだぐだ駄句 ♪ 句を詠まん 稲穂も悩む こうべ垂れ


2016年11月2日(水) 北陸中日新聞
 



★黒澤:10月10日9:00に東大赤門(加賀藩上屋敷)を出発し、11月3日14:30に金沢城大手門に無事に到着しました。この25日間、応援頂いた皆様に心より御礼と感謝を申し上げます。ありがとうございました。
今日もいろいろサプライズがありました(笑)。
4:20 今日も今日とてあさぼらけ・・を聴きながら日記を付ける。
朝食。昨日のスーパーで買ったおにぎり、味噌汁、ヨーグルトを食す。外はまだ雨は降ってない。このまま天気予報が外れることを祈る。
8:30 美大バレー部の後輩である高橋裕恵さんがだるま旅館に突然現れ支度中のボロ姿を撮られる(笑)。昨夜宮下印刷のみんなから贈られたTシャツを着込み、入城の身支度完了。昨日夕飯を共にした吉田洋さんも食堂で待機。祈りが効かず雨が・・。それも雷と一緒に大雨に・・。嗚呼〜。
9:30 予定してたMROテレビの取材がなくなり、吉田、高橋、三谷、石田、黒澤「だるま旅館」を出立。いざ金沢城へ。高橋さんは車で追っ掛けレポーターに。雨の中、県道59号、215号を南下。時々晴れ間も見える典型的な金沢の天気。ある意味懐かしい(笑)。
10:00 吉田さんのナビゲーションで花園あたりから旧北国街道(北陸道)に入る。お陰で八田與一(台湾での治水、ダム設計に尽力した水利技術者)の生家や、金沢指定文化財の豪農建築(菊知家)、松並木(往還松)など名所、史跡を見ることができた。
11:30 石田、黒澤共に最後の昼は「8番ラーメン」にしたいと今日も同道してくれている三谷隊員に頼み探してもらう。通り道森本にあった!懐かしい「8」の字のナルト。縮れ麺。美味かった(笑顔)。
12:10 太陽が出たと思ったらまた雨。傘をさしたり閉じたりリュックカバーをかけたり外したりと忙しい(苦笑)。
12:30 小坂南の北陸銀行前で旧街道を守る会の皆さんと北陸中日新聞の田島記者とが出迎えて頂く。国道395号線から再び旧道に入り民家でお抹茶と饅頭を頂く。疲れた身体にお茶が染み込むのが解る。お茶の効能は凄い。元気回復。お代わりを頂く。太陽が再び現れ感謝。その時、あっ!!てっきり会のメンバーのおばさんかと思ってたら美大バレー部先輩の村上さんとビート先輩だった。失礼しました(苦笑)。
13:00 やちや酒造の前でMROラジオカーが止まっていて「おいね・どいね」のインタビューを受ける。メインレポーターは竹村りゑさん。仕切り上手でお見事!約5分ほどのインタビュー中、青い空、太陽が出て無事に終了。テレビクルーも同行しながら金沢城を目指す。
13:30 また雨が降り出す。そこにまたまたバレー部先輩の棚田さんが合流。感謝。風が吹き、雨が激しくなり近くの菓子屋で雨宿り。そのまま浅野川大橋を渡る。身体が冷えきってきたので時間調整兼ねて喫茶店で休憩。そこにKANABIあ・そ・び・隊隊員の圓角さん夫妻が到着。これで予定通り入城の同道者が揃う。
14:20 大手門が見えてきた。多くの人の姿が見える。嗚呼とうとう入城なんだ!と実感。身体が震える。
14:30 大手門の坂の上にMROと北陸テレビ朝日のテレビクルーと大勢の出迎えの方々が。右に曲がると黄色のフラッグと、大勢の人々が。山野市長がこの寒空の中、コート無しのスーツ姿で立って出迎えて頂く。市役所から花束を頂戴する。感謝。感動!言葉が無いほど嬉しかった。無事に到着した。石田と握手。その後金沢城をバックにテレビのインタビュー。
15:00 橋爪門に入る。そこで最大のサプライズが・・。何と、東京にいるはずの女房と娘がいた。ビックリ!ズーっと内緒でここにきたらしい。あと母や従姉妹、義妹など・・。ビックリ、驚き、サプライズ!それと同窓会の広瀬会長から完歩表彰状を頂く。全て自筆の価値のある表彰状だった。感謝です。ありがとうございました!
15:20 旧美大の欅の前で再び「おいね・どいね」のインタビュー。竹村レポーターの小気味いい司会とスタジオの掛け合いの中で石田と一緒に最後のインタビュー。俳句を要望されたので「冬嵐 みんなの笑顔 大手門」という場当たり思いつき句で逃れる(笑)。石田はちゃんとメモっていて流石!句は思い出せない・・。
16:00 大手門からずっと同行してもらった鈴々舎馬桜師匠も一緒に美大へ。寺井先生、角谷先生、大路元事務局長などに皆さんに出迎えてられ、美大開学70周年の祝い参勤交代ウオーキング完歩の報告をして25日間の参勤交代ウオーキングが無事に終了した。模擬店内で後藤先生や奥様も交えて祝杯をあげる。
改めて、応援して下さった皆様と25日間同道してくれた石田誠さんに心から感謝と御礼を申し上げます。ありがとうございました!!。
ぐだぐだ駄句 ♪ 冬嵐 みんなの笑顔 大手門
★石田:ありがとうございます! 大勢の皆さまに盛大にお迎え頂き感激しました!無事金沢城にゴールでき、ホッとしました。
黒澤君、最後まで見事なレポートありがとうございます(^_^) 感動がまたまた蘇ってきますよ〜!
ぐだぐだ駄句 ♪ 秋雨も 晴れて満願 成就する
おいねどいね(MRO北陸放送ラジオ 13:00〜16:25)
11月3日(木・祝) 生電話インタビュー Part1
おいねどいね(MRO北陸放送ラジオ 13:00〜16:25)
11月3日(木・祝) 生電話インタビュー Part2
スーパーJチャンネル (HAB北陸朝日放送 16:45〜/17:36〜)
11月3日(木・祝)
レオスタ(MRO 北陸放送テレビ 11:15〜)
11月3日(木・祝)


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2016年11月4日(金) 北國新聞
 

拡大
2016年11月4日(金) 北陸中日新聞
 


2016年11月15日(水) 埼玉新聞
上柳昌彦 あさぼらけ(ニッポン放送ラジオ 4:30〜6:00)
11月15日(水) 生電話インタビュー


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2016年 石川県人会会報「石川縣人」
 

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